🌸時代を超えて花をいける:京都華道「池坊」を築いたキーパーソンたち#1073
🌸華道550年の歴史を持つ「池坊」は、いけばなの原点です。本記事では、京都でその礎を築き、立花(りっか)を芸術として確立した、池坊専慶、専応、そして二人の専好(せんこう)といったキーパーソンたちの功績を分かりやすく解説します。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 華道池坊の元祖であり、寛正3年(1462年)に大名に招かれて行い絶賛を博したとされる人物は誰ですか。
- 立花(りっか)の最初の理論書とされる『専応口伝』を残した人物は誰ですか。
- 立花(りっか)の様式を確立し、天正4年~万治元年(1576年~1658年)に活躍した二代目の「専好」は、どの天皇に招かれて宮中で大規模な立華会を開いたとされていますか。
- 武家や大名の間で立花を流行させた、初代の「池坊専好」が活躍した時代は、戦国時代と江戸時代初期ですが、その生没年(天文5年~元和7年)を西暦で答えてください。
- 二代 池坊専好が残した、立花の様式をまとめた220点あまりの業績図録の名称は何ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
時代を超えて花に命を吹き込んだ人々の物語をご覧ください。
目次
【華道池坊の夜明け】池坊専慶(いけのぼう せんけい)
- **華道池坊の「元祖」**として知られています。
- 記録に残る最も古い立花(たてはな/りっか)の達人で、現在の華道の源流を築きました。
- **寛正3年(1462年)に大名に招かれて行った立花が「未生(いまだかつてない)の華」**と絶賛され、後の華道隆盛のきっかけを作りました。
- この頃の立花は、寺院の仏前供花から、座敷を飾る芸術へと変化していく過渡期にありました。
【立花を理論化】池坊専応(いけのぼう せんおう)
- 専慶の華道を継承し、次代へと確実につないだ功労者です。
- 単なる技術として受け継がれていた立花を、精神性・思想を含めた芸術として確立しようと努めました。
- 立花の最初の理論書とされる貴重な文書**『専応口伝(せんのうくでん)』**を残しました。
- 自然の情景を花に写し取る「一瓶の中に山水を表現する」という、立花の根本的な考え方を記しています。
【立花を大成させた二人の「専好」】
初代 池坊専好(しょだい いけのぼう せんこう):武家への普及に尽力
- **天文5年~元和7年(1536年~1621年)**に活躍。
- 戦国時代から江戸時代初期にかけて、武家や大名の間に立花を流行させ、文化的な地位を高めました。
二代 池坊専好(にだい いけのぼう せんこう):宮廷文化の立役者
- **天正4年~万治元年(1576年~1658年)**に活躍。
- 立花の様式を確立し、**「立花(花)のかたちを大成した人物」**として特に重要視されています。
- 寛永6年(1629年)正月、後水尾(ごみずのお)天皇に招かれて宮中(紫宸殿など)で大規模な立華会を開き、以後、生涯で33回もの宮中立華会を主宰しました。
- この功績により、池坊は宮中や公家文化と深く結びつき、揺るぎない地位を築きます。
- 彼のいけた立花の様式をまとめた業績は、**220点あまりの『専好立華図』**として今に伝えられています。
華道池坊の歴史は、そのまま京都の文化史と密接に結びついています。彼らが繋いできた「花をいける心」に想いを馳せながら、京都の文化に触れてみるのも素敵ですね。
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前述の練習問題の解答☆
- 池坊専慶(いけのぼう せんけい)
- 池坊専応(いけのぼう せんおう)
- 後水尾天皇(ごみずのおてんのう)
- 1536年~1621年
- 専好立華図(せんこうりっかず)