#173 2022年春・桜の思い出 要介護1母と巡る
m3-f blogブログです。
まだまだ身体は元気!でも、母の認知症も症状が進んでいて、「要介護1」の認定を受けました。
春、桜の思い出を作ってきました。
・親御様を介護、看護されている方
・認知症のお父様、お母様と一緒に過ごされている方
・京都の春の桜の穴場スポットを知りたい方
3月に交付された要介護1の保険者証
昭和17年生まれの80歳。
2020年初め頃から、認知症の症状が出始めていました。当時は、
レタスを買いにスーパーに行って、レタスを買わずに帰ってくる
くらいのものだったのですが、時を経て、
・ものを自分で片づけて失って、父さん(夫)に疑いをかける
・帰省した僕に「いつ戻るのか」と何度も何度も聞いてくる
・時間の感覚がなくなって、今日が何日かわからない
というところまで進行してきました。
今年の1月24日に僕の叔母(母の妹)が亡くなった精神的ショックもあったのでしょうし、そろそろかなと思い、地域管轄の包括支援センターを窓口に、介護保険の認定申請を届け出ました。
80代後半になるうちの父の分も、今回同時に申請しました。
介護保険の認定は、
・かかりつけの主治医の意見書
・調査員による基本チェック(訪問しての面談のようなもの)
を経て、認定審査会で状態区分が決定されます。
「介護」っていう言葉に嫌悪感を持っている母には、この基本チェックの調査受け入れの説明も一苦労でした(笑)
1月27日 | 地域包括センターに届け出 (この日が届出日になりましたが、両親の基礎情報は昨年の段階で登録しておいた) |
2月10日 | 調査員訪問による基本チェック |
3月18日 | 保険証が交付される |
訪問調査は、両親に任せておくと何のことかわからず混乱するので僕が立ち会う(東京から京都に帰って立ち合い)ことにして、調査員の方と日程調整して決めました。
前後してかかりつけの主治医の問診を受け、意見書を書いてもらっていました。
要介護1
これが母の認定結果でした。認知症の症状などない父は、ちなみに「要支援1」でした。
結果通知書には、「心身の状況により、生活の一部について部分的な介護を要する状態にあると認められるため」と記載が。
これでいよいよ、僕も介護がホントに現実のものになってきました。
春の桜・思い出作りスタート
母が認知症で日々記憶や時間軸を失っていく、、
これは子としては寂しい、哀しいもんです。僕は一人っ子でお母さん大好きですし、絶対的(ある意味不老不死だと思ってた、、)存在なので、最初は現実を受け入れるのが辛かったです。
昔の記憶は鮮明にあったり、もちろん息子である僕も今はまだ認識できていますが、最近のことはほとんど(今日あったことも)覚えられない。
ちょうどコロナになった2020年、車で帰省して帰り道、高速道路で何回も涙出てきました。
今はある程度受け入れられたし、ここからどうしようか、少しは前向きに考えられるようになりました。
3月下旬の帰省の際に、最近は叔母の預金相続で母と出かけて手続きをすることが多かったので、その道すがら、季節的に桜が咲いていて、急遽思い立ったのが、
春休みのうちに長男を京都に連れてきて、桜を一緒に見て思い出作りする
ってことでした。
「いっぱいお花見できてよかったね」
銀行へ向かう京都市内を走るタクシーの車内で、母は僕にこうつぶやいたんです。
今回はいっぱいお花見できてよかったね
これは僕の心を打ちました。「花見?」タクシーから桜が見えてるだけじゃないか、、
でも、母にとってはたぶん、息子と時間を共有できて、窓の外に桜が満開に咲いてる。それがかけがえのない時間だったのだと思いますし、嬉しかったのでしょう。
それと、お互いに高齢になってる父と家に居てても明るく楽しくはできないのでしょうが、こうして僕が外に連れ出したら自然と明るく元気になる(少しだけど)
時間があとどれだけあるのかは見当もつかないのですが、今8歳の長男を連れてきたら、孫の顔も見れて嬉しいだろうな、と思い、4月4日・5日、長男と1泊2日の京都行脚をすることにしました。
結果、とっても喜んでくれた。
↑五条から川端通り沿い、満開だった桜
↑冷泉通り、琵琶湖疎水と桜
↑京都タワーに上って、住まいのある東山を眺めてみた
今年は例年になくたくさん桜見ました。
僕が現在43歳。年齢がそうさせるのでしょうか、桜を見て感動したり寂しくなったりすることも増えてきました。
もう散り始めてきましたが、また来年を楽しみにしたいと思います。
今回の記事のまとめ~合わせて読みたい記事
現在は要介護1ですが、幸いにも身体は元気で、日常生活はまだなんとかできている。
ただ、僕も離れて暮らしている身としては心配でそろそろ暮らしに限界も来そうなので、母の住まいを変えてあげたいなと考えています。
施設、、嫌がるだろうけれど、それが一番安全で暮らしやすいのかな、と。
次の帰省の際に相談と、いろいろ見てこようと思います。
母との思い出。まだまだ作っていきたい。そう切に願う毎日です。