#183 母と「毎日歩いた」思い出の通りを 京都・松原橋(要介護&認知症の記録)

m3-f blogブログです。
京都に住む、先日要介護1の認定を受け認知症の症状も徐々に進行している母と、思い出の通りを車で走りました。

この記事をこんな方に☆

・認知症になったご両親の介護、見守りをされている方
・京都・洛東地区の歴史に興味がある方
・六道珍皇寺を今度訪れる予定の方

京都市を東西に走る松原通り

叔母の相続の手続きで四条烏丸の銀行へ一緒に出かけた帰り道。
タクシーの後部座席に座ってると母が懐かしそうに、

毎日歩いた道、、もう20年、早いなぁ、、

とつぶやきました。
母は四条河原町近くにある印刷会社にパートタイマーで勤めていて、朝はバスで、帰りは徒歩で、東山区の家から通っていました。
僕が小学生の頃から、60歳の定年まで平日は毎日毎日この道を歩いてたんです。

松原通り」です。
この坂を上って、そのまま清水道、清水寺につながっています。

松原通り

平安時代の五条大路。
清水寺の参詣道で、人の往来が多く、大変賑わっていた都の目抜き通りです。
元来この地に架かっていた橋が五条橋で、松原の「松」は立派な松並木に由来し、「五条松原橋」と呼ばれていた。
あと牛若丸と弁慶の決闘、「京の五条の橋の上」はこの通りにあった松原橋のことを指します。

大人になった僕に母が何度も言ってくれたのが、
「松原通りの帰り道、お母さんを見つけたら全速力で駆けて向かってきてくれた。あれは忘れられない思い出やわ。この子産んでよかったと幸せを思った。」
という話でした。たぶん、僕も生涯忘れない小学校の頃の思い出です。

松原橋

この日に見えた松原橋からの鴨川の景色もきれいでした。
春。新緑に向かう季節。
きっと母も若いころ、毎日この景色を眺めていたのでしょう。

松原橋のたもとには、僕も子供のころたくさん遊んだ「松原橋公園」があります。
遊具が今でもあって子供たちが遊んでいましたが、藤棚にフジが、咲き始めていました。

そして松原橋の西側には、歴史を記す立て札があります。

昔はそんなこと気にせず道を歩き、橋を渡っていたのですけどね。
あらためて歴史ある良いところの近くに住んでいたんだな、と深く思いました。

六道珍皇寺

松原橋から清水坂に向かって歩を進めると、僕の実家のほん近く「六道珍皇寺」(ろくどうちんのうじ、ちんこうじ)というお寺があります。

臨済宗建仁寺派の寺院で、山号は大椿山、本尊は薬師如来です。

平安京の火葬地であった鳥辺野の入口にあたり、現世と他界の境にあたると考えられている歴史ある寺院。この付近を「六道の辻」っていうんです。
創建は延暦年間(782~805年)で、寺号は本来「ちんこうじ」だそうです。

僕が子供時分は境内で野球遊びやキャッチボールができるくらい(観光に来る人もまばら)だったのですが、記憶では2000年前後の「陰陽師」ブーム辺りから人気が出だして、今では夏のお詣りの時以外の日常でもたくさんの観光の方が来られるようになりましたね。

↑ちなみにこの西福寺(六道さんより少し西側にあるお寺)のあたりが「六道の辻」であるとされています。

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少し六道さんの話しで横道に逸れてしまいましたが、母との時間、思い出に浸りながら、でも自然にできるだけ多く作っていきたいなと思います。

認知症の症状って人それぞれだと思うのですが、最近のことは全然覚えられなくても、昔のことや情報は鮮明に記憶している(今のところは)。
それと、やっぱり血のつながった子である僕との、特に幼い頃の思い出はたくさん覚えていてくれてるのがたまらなく嬉しいし寂しいですね。。

また近況アップデートも兼ねて京都情報記していこうと思います。

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この記事を書いた人
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京都市出身、現在は東京都江東区に住まい、妻と一緒に小学生&保育園の二人の子育て中。両親の介護で京都との二拠点生活です。
「野菜作りを楽しむ」をコンセプトにした家庭菜園や農体験の運営を仕事として10年やってきました。今は独立して様々な情報発信などのお仕事と、不動産の管理などをしています。

2023年12月24日

Posted by m3firm