第126回 父の最期と主治医の言葉。京都で母を支え続ける決意をした日#1187
父が息を引き取ったあの日、僕は京都の街を自転車で走っていました。主治医から告げられた「医学の領域を超えていた」という言葉。そして、残された母の今後について問われたとき、僕の心の中に迷いのない答えが浮かびました。遠距離介護を続ける僕が、なぜ母の東京呼び寄せを選ばなかったのか、その理由を綴ります。
主治医への御礼を伝えるため、二条城近くの病院へ
父が亡くなった日、僕は主治医による死亡確認の瞬間に、数十分の差で間に合いませんでした。
葬儀会場での打ち合わせを終えたあと、僕は死亡診断書を受け取るため、父が過ごしていた下京区のサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)から、二条城の近くにある病院へと自転車を走らせました。
この先生は、亡くなった父や、認知症が進行している母がサ高住へ入居して以来、毎週の往診で大変お世話になっている方です。父との接し方も非常に上手で、息子である僕に対しても常に親身に接してくださる、まさに恩人と呼べる存在でした。
「医学の領域を超えていた」父の生命力
病院の受付で書類を受け取るだけでなく、どうしても先生に一言お礼を伝えたい。そう願い、外来診察中だった先生のもとへ通していただきました。
先生は僕の顔を見るなり、温かい声をかけてくださいました。 「息子さんもお疲れ様でした。お父さま、本当に頑張りましたね。あの状態でここまで長く生きるとは……正直、もう医学の領域を超えていましたよ」
11月25日に「あと2、3日のうちに……」と連絡を受け、翌日に東京から京都へ駆けつけてから10日以上。父は水分摂取だけで命を繋ぎ、懸命に生きました。
小さな癌の影響や、本人が精密検査を拒否したこと。施設スタッフの方々とのコミュニケーションの難しさなど、父の複雑な性格や状況をすべて理解した上で、先生はいつも的確な連絡をくださいました。直接顔を見て「ありがとうございました」と伝えられたことは、僕にとっても大きな救いとなりました。
「お母様を東京に呼び寄せますか?」という問い
そんな時、先生から思いがけない確認をされました。 「お母さまが心配ですね。お一人になられたから、東京へ引き取られたりはしませんか?」
確かに、母にとっては長年連れ添った夫を亡くしたばかりです。認知症の症状があるとはいえ、これからは一人での生活になります。僕の住む東京の近くにある施設に移れば、面会もしやすくなり、何かあってもすぐに駆けつけることができます。
しかし、先生の言葉を聞いた瞬間、僕の心の中には明確な答えがありました。
僕が母の「京都での生活」を守りたかった理由
「東京へ呼び寄せることは、考えていません」 僕は即座にそう思いました。それには、いくつかの理由がありました。
まず、距離が近すぎると、僕自身が気になって毎日のように足を運んでしまい、かえって母に余計な心配をかけてしまうのではないかという懸念です。
そして何より、母が今の施設のスタッフの皆さんと良い関係を築けていること。そして、慣れ親しんだ「関西のことば」でコミュニケーションが取れる環境こそが、今の母には最良だという確信がありました。
信頼できる先生に、母の未来を託して
そして一番の理由は、目の前にいる主治医の先生への絶大な信頼感でした。
「先生には、これからも末永く、残された母のことをお願いしたいと思っております」 そう決意を伝え、僕は病院を後にしました。
父が命がけで見せてくれた最期の時間は、僕にこれからの家族の在り方を考えさせてくれる大切なひとときでした。これからも京都と東京を往復する日々は続きますが、信頼できる方々に支えられながら、母との時間を守っていこうと改めて思いました。
父の旅立ちを見守ってくださった先生、そして最後まで戦い抜いた父には、感謝の気持ちでいっぱいでした。
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