第122回 「元気ハツラツ」で繋いだ最期の時間。父と過ごした看取りの記録と、家族の絆#1183
2025年11月下旬、父の容態急変の知らせを受け、私は東京から故郷・京都へと向かいました。医師から告げられた「あと数日」という言葉。そこから始まった、オロナミンCが繋いだ不思議な時間と、認知症を患う母を交えた家族の葛藤、そして父らしい最期の言葉を綴ります。
急変の知らせを受けて京都へ。父との静かな格闘
2025年11月26日、私は父の容態が急変したとの連絡を受け、急ぎ東京から京都へと向かいました。それからというもの、宿泊先の実家と、父が入所しているサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)を往復する毎日が始まりました。
主治医からは「あと2、3日が山場でしょう」と告げられていました。しかし、水分のみの摂取にもかかわらず、父の血圧は驚くほど安定していました。死の淵にありながらも懸命に生きようとする父の姿に、生命の強さを感じずにはいられませんでした。
父らしい「最期の言葉」に宿る個性
日が経つにつれ、父の意識は混濁し、私の顔も判別できなくなる場面が増えてきました。そんな中で父が漏らした言葉の数々は、今も私の記憶に強く刻まれています。
- 「お前、どこに行ってたんや」
- 「こんな施設に連れてこられて、お前の作戦に乗ってやったぞ」
- 「お母さん、あいつはあかんなぁ(母の物忘れを嘆く)」
- 「先生、よろしくお願いします!(私を医師と誤認)」
- 「ちょっと長生きしすぎたな……」
文句を言いながらも、どこかユーモアと繊細さが同居する、いかにも父らしい言葉たち。豪快に見えて実は石橋を叩いて渡るような几帳面な性格だった父の個性が、最期まで溢れていました。
オロナミンCが支えた「元気ハツラツ」な驚異の生命力
12月に入っても、父の状態は予測に反して維持されていました。食事は摂れず、排尿も止まっている状況で、医師さえも「なぜこれほど保っているのかわからない」と首を傾げるほど。
その生命力の源となっていたのは、父が昔から大好きだった**「オロナミンC」**でした。終末期の方は炭酸を好む傾向があるそうですが、ストローで飲む一口のオロナミンCが、父に不思議な力を与えていたのかもしれません。「元気ハツラツ」というキャッチコピーの通り、大好きな味が父の時間を繋ぎ止めてくれていたのです。
認知症の母との面会。繰り返される「はじめまして」の別れ
父と同じ施設で暮らす母は、認知症を患っています。毎日、母を父の部屋へ連れて行き、面会をさせることが日課でした。
「父さんはもう、あと数日かもしれないから……」 そう伝えるたびに、母は「えっ!いつの間にそんなに悪くなったの!?」と驚きます。短期記憶が残らない母にとっては、父はいつだって「まだ元気な夫」のまま。毎日、悲しい事実の説明から始まる面会は、切なくもありましたが、二人の絆を再確認する貴重な時間でもありました。

一度きりの帰京。父への願いを込めて
12月4日、連日の看護による疲れもあり、私は一度東京の家族のもとへ戻る決断をしました。施設スタッフの方からも「今は安定しているので大丈夫でしょう」と背中を押され、「またすぐに戻ってくるから」と、返事の届かない父の耳元で告げました。
いつか訪れる終わりの時を覚悟しながらも、父の生命力と家族の絆を信じ、私は一度京都を離れました。この数日間の出来事は、私にとって命の重みを深く見つめ直す大切な時間となりました。

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