第120回 父の容態激変と向き合う京都の数日間。生命の底力と、母と紡ぐ「今」この時の会話#1181
2025年11月26日、父の容態が激変したという知らせを受け、私は急ぎ京都へと向かいました。主治医からは「いつ血圧が急激に下がってもおかしくない」と、極めて厳しい現状を告げられます。食事も摂れず、水分だけで命を繋ぐ父。そして、短期記憶を失いつつある母。家族として今できることは何か。父の強い生命力に圧倒された、濃密な数日間の記録です。

2025年11月26日、京都へ。父の身体に起きた異変
その日は水曜日でした。父の容態が急激に悪化したという知らせに、僕は迷わず京都へと向かいました。そこから始まったのは、毎日の面会と、父の身体に刻一刻と現れる変化を見守る日々です。
当時の父の状態を、今でも鮮明に覚えています。
- 基本的には寝たきりで、目を閉じている時間が長い
- 食事は3〜4日前から一切受け付けなくなっている
- 排尿が止まり、腎臓の数値が通常では考えられない異常値を示している
主治医からは「いつ血圧が急激に下がっても不思議ではないレベル」と説明を受けました。摂取した水分を排出する機能が失われ、身体が限界に近いサインを出していたのです。それでも、僕が声をかけて目を開けたとき、父は確かに僕を認識してくれていました。
命を繋ぐのは、わずかな水分と口腔ケア
父の身の回りで必要とされるものも、それまでとは一変しました。ヘルパーさんから購入を依頼されたのは、日常品ではなく「命を維持し、苦痛を和らげるためのもの」でした。
- 口の乾燥を防ぐための口腔ケア用スポンジ
- 紙おむつ用のパッドや介助用手袋
- 父が好んだお茶や炭酸飲料
ストローでお茶や炭酸を吸い上げる力はまだ残っており、それが父にとっての唯一のエネルギー源。スポンジで唇を湿らせてもらいながら、水分だけで懸命に生きている。そんな状態でした。
認知症の母と父、二人の会話を取り持つ
同じサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)の別室で暮らす母は、この時すでに認知症の初期症状が進み、短期記憶がほとんどなくなっていました。そんな母を父の部屋へ連れて行くのも、僕の大切な役割でした。
「また元気にビール飲みに来てよ」 「どうしたん、こんなに弱って。元気出して」
母は、その瞬間は父の容態を理解し、妻として懸命に励ましの言葉をかけます。しかし、部屋を出て10分も経てば、父がこれほど弱っていることも、さっきまで何を話していたかも忘れてしまうのです。
切なく、悲しい現実ではありましたが、僕はあきらめずにその交流を繰り返しました。その一瞬一瞬に宿る二人の「心のふれあい」だけは、何物にも代えがたい真実だと思ったからです。
宣告を超えて。父が見せた凄まじい生命力
主治医からは、25日の時点で「あと2、3日のうちに」と言われていました。医学的な数値から見れば、それが妥当な判断だったのでしょう。
しかし、ここから父は、その深刻な状態のまま信じられないほどの生命力を見せてくれることになります。
振り返れば、あの数日間は僕にとっても、家族のあり方を深く見つめ直す時間となりました。どんなに厳しい状況であっても、目の前の命と向き合い、その一歩一歩を丁寧に見守っていきたい。当時の揺れ動く心のなかで、僕はそう強く思いました。

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