阪神ファンだった両親と、野球にまつわる記憶の奇跡 #913 mission109
僕の両親は、ありがたいことに今も健在で毎日を過ごしています。
90歳を超え、体力の衰えが目立つ父と、ここ5年ほどで認知症が進行している80代の母。
もう今では、プロ野球選手の顔と名前は一致しないし、「昨日どこが勝ったか」なんて情報にも関心がありません。けれど、二人とも昔から野球が大好きでした。

阪神ファンになったきっかけ
僕は京都で生まれ育ち、小学1年生だった1985年──あの阪神タイガースが日本一になった年──からのタイガースファンです。
母は福井出身で、祖父(母の父)が国鉄職員だったこともあり、若い頃は国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)や金田正一さんのファンでした。でも僕と一緒に、阪神タイガースを応援してくれていたんです。
しかし、1980年代後半から90年代の阪神タイガースといえば「暗黒時代」。
一般には「打てない、守れない、走れない」なんて言われるほど、厳しい時期でした(笑)。
それでも僕と母は、真弓、和田、岡田といった選手たちをテレビの前で必死に応援していたのです。
岡田監督が引き出した母の記憶
そんな母に、2023年にちょっとした奇跡が起きました。
認知症が進んで4年目、ある日テレビに映ったのは、阪神タイガースの新監督に就任した岡田彰布さんの姿。すると母が突然、こう言ったのです。
「ははは、岡田が監督してるんか」
今では息子の名前さえ怪しい母が、自然に「岡田」という名前を口にした瞬間、僕は驚きと感動を覚えました。
認知症の特徴として「最近のことは覚えられないけど、昔のことは鮮明に覚えている」というのがありますが、まさにそれ。そして、あの岡田監督の独特な風貌が、記憶の扉を開いたのかもしれません。
「長嶋のおっさん」と呼んだ父の名解説
2025年6月3日、長嶋茂雄さんが亡くなりました。
その日の朝、僕は父が暮らすサービス付き高齢者向け住宅に面会へ行きました。開口一番、父が言ったのは──
「長嶋のおっさん、死んでしもたな」
父にとっては、長嶋茂雄さんは「おっさん」。野村克也さんも「野村のおっさん」。そして、王貞治さんだけは「ワンさん」と呼んでいました。昭和9年生まれの父にとって、皆年下。けれど、それぞれに特別な敬意を込めていたのです(笑)。
阪神ファンだった父にとっても、「ON(王・長嶋)」だけはやはり別格の存在でした。
僕の心に残る「父の解説」
少年時代、僕にとって一番の野球解説者は父でした。
テレビやラジオの実況以上に、父の隣で聞いた素人解説が、今も記憶に深く刻まれています。
「何を根拠に言ってるんだ?」と今なら思うようなことも多かったけれど、それが楽しくて心地よかった。
阪神タイガースのプレーを一緒に見ながら笑い、悔しがったあの時間が、何より大切な思い出です。
最後に
両親と過ごした野球の時間。阪神タイガースを通じて共有した感動と記憶は、今も僕の中に強く残っています。
たとえ記憶が薄れても、心のどこかに残る「野球愛」。それが再び母や父の口からこぼれるたび、僕は少し嬉しくなるのです。

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