感情に揺れる車窓の中で──父との対話をシミュレーションした朝#847 【介護振り返りnote043】
今回は、2024年2月の引っ越しを前に、僕が新幹線で京都に向かう道中で考えていたこと、そして父とのコミュニケーションをどう組み立てようとしていたか、そのときのメモをもとに振り返ってみたいと思います。
引っ越し予定日は2月14日。両親が新たにサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に入居するための日です。その準備として、僕は2月12日に東京から京都へ前入りしました。
ただ、出発前日の夜、父から一本の電話がありました。
「やっぱり、引っ越しは中止にしてくれないか」
驚きつつも、これは腹を割って話すべきだと考え、始発の新幹線に乗り、朝9時には実家に到着するスケジュールを組みました。
当初の予定はこうでした:
- 9時〜11時:家族会議
- 11時〜:家電の買い出し
- 15時〜:サ高住での荷受けと契約手続き
- 20時:実家に戻る
両親には「仕事で来る」とだけ伝え、引っ越し準備だと大げさに思わせないようにしていました。
とはいえ、父が「中止したい」と言い出している以上、僕は最悪のケースも想定していました。
- 引っ越しを完全に中止し、今の家での生活を続ける
- 日程を白紙に戻して延期する
- 延期はするが、新しい日程をあらかじめ決める
- 両親のどちらか一方だけが先に引っ越す
もちろん理想は、14日に2人揃って引っ越すこと。でも、そのためには慎重な話し合いが必要でした。
僕が最も心配していたのは、両親が今の家で夫婦2人で暮らし続けることでした。
父は一戸建ての2階での生活に限界を感じ始めており、階段の上り下りがつらそうでした。
母は買い物もままならず、食事はレトルト食品やカップ麺ばかり。
たまに料理を始めると、ガスの火の扱いが危なっかしく、見ていてヒヤヒヤします。
薬の管理も、訪問看護の力だけでは不十分で、きちんと服用できていない日もありました。
そんな現実を思うと、仮に今回の引っ越しを見送っても、近い将来には再び引っ越しのタイミングが来るのは明らかだと僕は思っていました。
それでも父が「中止だ」と言い張るなら、正直にこう伝えるしかないとも考えていました。
「もう僕にはできることはない。あきらめたよ」
それが僕なりの限界ラインでした。
京都滞在は、念のため15日までの予定を立てていました。
そして決めていたのは、「たとえ片方だけでも引っ越しできるまで、僕は東京には戻らない」ということ。
そんな覚悟を胸に、父と向き合うため、京都の実家の玄関をくぐりました。
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