両親の介護が始まったきっかけ──僕にとっての「2020年1月」#707
両親の介護が本格的に始まったのは、いつからだったか——。
明確な線引きは難しいですが、僕の中では「2020年1月」が一つの転機として記憶に残っています。
2024年で、もう介護5年目に入りました。
今後、同じようにご両親の介護に向き合っていく方々にとって、少しでも参考になればと思い、これから僕自身の体験を備忘録的な日記形式で記録していこうと思います。
「一人っ子の息子」として感じた両親の老い、利用者の立場から見た公的介護サービスや民間施設のリアルな実態など、リアルな声として残していければと。
2020年1月6日:母の小さな異変と、はじまりの気づき
当時よく更新していた僕のFacebookには、こんな投稿が残っていました。
実家に帰ると、母親も寄る年波か、少しずつ物忘れが多くなってきていた。
収穫おすそ分けの有機野菜を送ってみる。
カロテノイドや食物繊維は認知症の予防や体調の回復にも良いらしいし、今年はたくさん発送してみよう。
目指せ年間50箱!
まだまだ孫たちとも元気に遊んで、成長を楽しみにしてほしいし。
僕は当時、有機栽培の野菜づくりや農業サービスの仕事をしていたので、収穫した野菜を小包にして母へ送りました。ちょうど1月が誕生日で、当時78歳。ちょっとしたプレゼントのつもりでした。
認知症ではない。でも「何かが始まっている」と感じた瞬間
この頃は、まだ「認知症」や「アルツハイマー」という言葉は、自分にとっても母にとっても現実的ではありませんでした。
でも今思えば、**軽度認知障害(MCI)**のような兆しはすでにあったのかもしれません。
母に見られた症状はこんな感じでした。
- スーパーに行ったのに、買おうとしていたものを忘れて帰ってきた
- 僕が帰省する曜日をすぐに忘れてしまう
- 少し耳が遠くなってきた
当時86歳だった父も、足腰はだいぶ弱ってきていましたが、頭はしっかりしていて、
「お母さん、最近ちょっと物忘れが増えてきたから大事にしてやってくれ」と僕に言うようになっていました。
東京でできることから、少しずつ始めた介護の第一歩
その年の年末年始、京都の実家に帰省したときの出来事がずっと心に引っかかっていました。
そして東京に戻った僕は、「何かあってからでは遅い。今できることから始めよう」と、少しずつ動き出すことにしました。
ここから、僕と両親の介護の歩みが静かに、でも確実に始まっていくことになります。
次回予告:
次回は「初めて介護サービスについて調べたときのこと」や「地域包括支援センターとの出会い」など、具体的な一歩目について書いていこうと思います。
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