第118回 【遠距離介護の記録】父との最期の電話。スマホが繋げなくなった時に気づいた「親の必死さ」#1179
2025年11月、2泊3日の京都。サ高住に入居する父との何気ないやり取りが、結果として「最期の会話」になりました。スマホ操作ができなくなるほど衰えてもなお、息子に連絡を取ろうとした父の想いと、後悔から学んだことを綴ります。
2025年11月、晩秋の京都への定期訪問
2025年11月18日から20日までの3日間、両親が暮らす京都のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)へ、定期訪問に行ってきました。主な目的は面会と、日用品の補充です。
この時、父の体調は決して良好とは言えませんでした。施設で提供される食事にはほとんど手がつけられず、排泄もヘルパーさんの介助が必要な状態。それでも、私との会話はまだ普段通りに成り立っていました。
「しんどい」と繰り返す父からのメッセージ
認知機能や記憶に曖昧な部分は出てきていたものの、父は自分のスマートフォンを使い、私に何度も連絡を寄越していました。
- 「今どこや」
- 「しんどい」
- 「今日何時に来る?」
執拗とも言えるほどのコミュニケーションの裏には、父なりの必死さがあったのだと今は分かります。しかし、当時の私は正直なところ、頻繁すぎる通知に少し「面倒だな」と感じてしまっていた部分もありました。
20日に京都を離れる際、「じゃあまた来るから」と告げると、父は「早ぅ行け」といつものように返してきました。しかしその数分後、「電話つながってるか?」と確認の電話が入ります。今思えば、あれが何らかの予兆だったのかもしれません。

スマホが操作できなくなった4日間
京都から戻って数日、父の容態は急激に悪化したようです。何より顕著だったのは、あんなに執着していたスマホの操作ができなくなったことでした。指先が思うように動かず、画面をタップすることすら困難になってしまったのです。
11月23日の日曜日。父の番号から4日ぶりに着信がありました。しかし、電話口に出たのは施設のヘルパーさんでした。
「お父さまに頼まれて電話しました。今、代わりますね」
受話器の向こうから聞こえてきた父の声は、弱々しくこう言いました。 「次いつ来る? しんどいんや」
私は「次は27日の木曜日に行くよ」と答えましたが、父はただ一言、**「早く来てくれ」**と絞り出すように伝えました。
自分で操作ができなくなっても、ヘルパーさんに頼んでまで息子に連絡を取りたい。その執念に近い想いに、私はもっと早く気づくべきでした。
「いつも通り」という言葉への過信と後悔
実はその年の夏頃から、父は発熱や下痢を繰り返し、その度に私は東京から京都へ駆けつけていました。不思議なことに、私が顔を出すと父の症状は一時的に落ち着く(小康状態になる)ということが何度も続いていたのです。
そのため、この時も「いつものことだろう」という甘い判断が頭のどこかにありました。「しんどいなら、今すぐ向かうよ」という言葉が出てこなかった。その判断が、今となっては深い後悔として心に残っています。
結局、この電話が父と意思疎通を図れた「最期のやり取り」となってしまいました。
遠距離介護で見落としてはいけない「サイン」
親が何度も送ってくる「しんどい」という言葉や、頻繁すぎる連絡。それらは受け取る側にとって時に負担に感じてしまうこともあります。しかし、「道具(スマホ)が使えなくなる」というのは、心身が限界を迎えているという、この上なく切実なサインでした。
もし、皆さんの大切な方が同じようなサインを出していたら。私のこの経験が、どなたかの後悔を未然に防ぐきっかけになれば幸いです。

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