✨京の奥深さに触れる散策路:寺町通・新京極・錦小路の歴史と魅力#1048

京都の中心にある「錦小路」「寺町通」「新京極」は、それぞれが千年の都の歴史を凝縮した特別な散策路です。この記事では、平安京の市として始まった錦、豊臣秀吉の都市改造で生まれた寺町、そして明治の賑わいを今に伝える新京極の、知られざる歴史と魅力を深掘りします。京の奥深さに触れる旅の備忘録としてご活用ください。

この記事内容から抜粋した練習問題5問☆

第1問 錦小路が平安京建設当初に呼ばれていた、約12m幅の市が立つ小路の名前は何ですか。

第2問 錦小路を「錦」と名付けたという逸話が『宇治拾遺物語』に記されている天皇は誰ですか。

第3問 豊臣秀吉が京都の都市改造で、寺院をまとめて移転させ、寺町通の基礎を作ったのは西暦何年ですか。

第4問 寺之内通と大宮通が交わる一帯の「寺之内」と呼ばれるエリアに集まる、日蓮宗の三つの有力寺院(妙蓮寺、妙顕寺、妙覚寺)を総称して何と呼びますか。

第5問 寺町通と河原町通に挟まれた寺院街を整備して、明治初期に日本初の商店街型歓楽街として誕生した通りは何ですか。

☆回答は記事の最後にあります。

京都の中心部を歩くとき、そこには単なる商店街や道筋ではない、千年の都の歴史が刻まれています。寺町通新京極、そして錦小路の3つのエリアは、それぞれがユニークな成り立ちを持ち、現代の京都の賑わいを形作っています。


🛍️ 錦小路:京の食文化を支える「京の台所」

錦小路は、現在「京の台所」として国内外から多くの人が訪れる錦市場で知られる通りです。そのルーツは平安京の建設当初にまで遡ります。

  • 始まりは具足小路
    • 平安京建設時、この通りは当初「具足小路(ぐそくこうじ)」と呼ばれていました。
    • 四条坊門小路と四条大路の間に位置し、約12m幅の市(いち)が立つ小路として存在していました。
  • 「錦」の名の由来
    • 通りが「錦小路」と呼ばれるようになった由来には、いくつかの説があります。
    • 【村上天皇の命名説】
      • 天喜2年(1054年)、村上天皇が、四条大路の南にある「綾小路(あやのこうじ)」に対比させて、この通りを「錦」と名付けたという説があります(『宇治拾遺物語』による)。
    • 【後冷泉天皇の命名説】
      • 後冷泉天皇が、大和錦を織る職人町だったことからその名が付けられたという説もあります(『掌中歴(しょうちゅうれき)』による)。
  • 現代の錦市場
    • 高倉通~寺町通の間の約390mの区間が、現在「錦市場」として知られています(2005年に商標登録)。
    • 市場内の百数十店のうち、鮮魚店が最も多く、京野菜や漬物、加工品など、京都の食文化を支える多彩な店が軒を連ねています。

⛩️ 寺町通・寺之内通:秀吉の大改造で生まれた寺院街

寺町通と、その北側の延長線上にある寺之内通は、安土桃山時代、天下人・豊臣秀吉による京都の大々的な改造によってその姿が形作られました。

  • 豊臣秀吉による都市改造
    • 天正17年(1589年)、秀吉(当時54歳頃)は京都の都市構造を大きく変える改造に着手しました。
    • この改造で、寺院を東京極大路の東側に集め、**御土居(おどい)**を築いて都を南北の小路で短冊型に整理しました。
    • この時、強制移転させられた寺院の数は120にのぼるとされます。
    • 寺町通は、その寺院が集められた通りであり、南は七条から北は相国寺のあたりまで続き、特に一条以南は、かつての平安京の東京極大路にほぼ相当します。
  • 寺之内エリア
    • 寺之内通大宮通が交わる一帯は、「寺之内」と呼ばれ、日蓮宗の有力寺院である妙蓮寺妙顕寺妙覚寺などが集まっています。

🎭 新京極:明治初期に誕生した日本初の商店街型歓楽街

新京極は、歴史の古い京都の中では比較的近年、明治時代に誕生した、活気あふれる通りです。

  • 誕生の経緯
    • 明治5年(1872年)、明治政府による殖産興業政策と、京都を観光・商業都市として再興するための構想のもとに作られました。
    • 寺町通と河原町通に挟まれた、寺院が集まるエリアを整備して誕生しました。
  • 「遊芸の街」としての賑わい
    • 三条通~四条通の間、約500mにわたるこの通りは、日本初の近代的な商店街型歓楽街として計画されました。
    • 通りを南北で挟む三条側の誓願寺や、**四条側の四条道場金蓮寺(こんれんじ)**の境内では、以前から遊芸が行われていました。
    • 京都府参事(後に知事)の槇村正直が主導し、「みすや針」の主人を通じて、香具師(やし)の坂東文治郎を請け人とし、遊芸・歓楽業者を積極的に誘致しました。
    • 初期には、独楽まわし、曲芸綱渡り、剣の刃渡り、手品、生人形、娘の足芸、居合い抜き、歯薬(はぐすり)の実演など、多種多様な見世物や興行で賑わいました。

まとめ

錦小路は、平安の昔から市民の胃袋を支えてきた食の道。 寺町通は、秀吉の都市改造という一大イベントの記憶を刻む寺院の道。 そして新京極は、明治維新後の新しい京都の娯楽と商業を牽引した賑わいの道。

この3つの通りを歩けば、千年の都の変遷を肌で感じることができます。

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ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳を運営しています。
京都市出身、現在は東京都江東区に住まい、妻と一緒に小学生&保育園の二人の子育て中。両親の介護で京都との二拠点生活です。
「野菜作りを楽しむ」をコンセプトにした家庭菜園や農体験の運営を仕事として10年やってきました。今は独立して様々な情報発信などのお仕事と、不動産の管理などをしています。

前述の練習問題の解答☆

第1問 具足小路(ぐそくこうじ)

第2問 村上天皇

第3問 天正17年(1589年)

第4問 寺之内(てらのうち)

第5問 新京極(しんきょうごく)

Posted by ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳