🍵 京都の茶道:歴史と家元を巡る備忘録#1044
京都の歴史と文化に深く根ざす「茶の湯」の世界。この記事では、千利休の精神を受け継ぐ三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)や、独自の道を歩む薮内家など、主要な茶道家元の歴史やゆかりの茶室を詳細に解説します。京都検定対策の備忘録としても、京都文化を楽しむための知識としても活用できる、茶道家元を巡る決定版ガイドです。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 表千家の茶室「不審菴」は、千利休の死後、誰が豊臣秀吉から拝領した地に再興したものですか。
- 裏千家の茶室「今日庵」は、千宗旦が誰とともに隠居茶室として建てたものですか。(宗旦の子の名前で答えること)
- 武者小路千家では、代々当主が世襲する名前は何ですか。
- 三千家が京都の「上京」に居を構えることから「上流」と呼ばれるのに対し、薮内家が居を構えていた場所から「下流」と呼ばれたのはどこですか。
- 薮内家の代表的な茶室「燕庵」は、もともと誰の京屋敷にあった茶室で、大坂の陣に出陣する際に薮内剣仲紹智に与えられましたか。
☆回答は記事の最後にあります。
京都を深く知る上で欠かせないのが、茶の湯の世界です。侘び寂びの精神が息づく茶道は、文化の中心地である京都で発展し、多くの家元がその伝統を今に伝えています。
これから京都検定を目指す方、また京都の歴史と文化に興味がある方へ向けて、主要な家元とそのゆかりの地を巡るための備忘録としてまとめました。
目次
I. 千利休の系譜:三千家を巡る
千利休(せんのりきゅう)を祖とする茶道の主流は、彼の孫にあたる千宗旦(せんのうたん)の子たちが開いた「三千家(さんせんけ)」です。いずれも京都市上京区の小川通寺之内付近に居を構えることから「上流(かみりゅう)」とも呼ばれます。
1. 表千家(おもてせんけ)
- 茶室:不審菴(ふしんあん)
- 利休が大徳寺門前の屋敷に建てた茶室の後身です。
- 茶室名は、大徳寺住持の**古渓宗陳(こけいそうちん)**の「不審花開今日春」という句にちなみます。
- 利休の息子である**少庵(しょうあん)**が、豊臣秀吉から拝領した地に再興し、現在に至ります。
- 家元: 千宗旦の第三子、**江岑宗左(こうしんそうさ)**が継承しました。
- 場所: 上京区小川通寺之内。
- その他: 不審菴の露地(茶庭)は、国の名勝に指定されています。

2. 裏千家(うらせんけ)
- 茶室:今日庵(こんにちあん)
- 宗旦が正保3年(1646年)に隠居する際、不審菴を三男の江岑宗左に譲り、その北隣に四男の**仙叟宗室(せんそうそうしつ)**とともに移り住んで建てた隠居茶室です。
- 家元: 千宗旦の末子(四男)である仙叟宗室が継承しました。
- 場所: 表千家と同じく、上京区の小川通寺之内。
- 庭内の井戸:梅ノ井があります。これは聚楽第の井戸で、豊臣秀吉が茶の水を汲んだとされる由緒を持ちます。
3. 武者小路千家(むしゃこうじせんけ)
- 茶室:官休庵(かんきゅうあん)
- 家元: 千宗旦の二男、**一翁宗守(いちおうそうしゅ)**が建てた茶室に始まります。
- 世襲名: 代々は「宗守(そうしゅ)」の名を世襲しています。
- 場所: 武者小路通小川。三千家の中で唯一、武者小路通に面しています。
II. 独自に発展したもう一つの名流:薮内家
三千家とは別に、独自の歴史を持つ家元として**薮内家(やぶのうちけ)**があります。
1. 薮内家の歴史と特徴
- 遠祖・初世:薮内宗把(そうは)を遠祖とし、千利休の弟弟子にあたる薮内剣仲紹智(やぶのうちけんちゅうじょうち)(1536~1627年)を初世とします。
- 世襲名: 歴代は「紹智(じょうち)」を名乗るしきたりです。
- 立地: 三千家が上京であるのに対し、薮内家は下京に位置していたため、「下流(しもがわ)」とも称されました。
- 西本願寺との関わり: 二世の真翁紹智(しんのうじょうち)は西本願寺の茶頭(さどう)を務めるなど関係が深く、寺領の一部を譲り受けた歴史があります。
2. 代表的な茶室
- 茶室:燕庵(えんなん)
- 由来: もともとは大名茶人として知られる**古田織部(ふるたおりべ)**の京屋敷にありました。
- 慶長19年(1614年)の大坂の陣に出陣する際、織部から初世・剣仲紹智に与えられ、現在に至ります。
このまとめで、京都の茶道家元の基本を押さえられたかと思います。これらの歴史的背景や茶室の逸話を知ることで、京都の街歩きや文化探訪がより豊かなものになるでしょう。

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前述の練習問題の解答☆
- 少庵(しょうあん)
- 仙叟宗室(せんそうそうしつ)
- 宗守(そうしゅ)
- 下京(しもぎょう)
- 古田織部(ふるたおりべ)


