第170回初盆に訪れた京都・六道珍皇寺の「盂蘭盆会大施餓鬼法要」とは?8月17日に行われる理由#1231
昨年、東京の義父と京都の実父を相次いで亡くし、2025年は二人揃っての「初盆」を迎える特別な夏となりました。今回は、京都・東山にある六道珍皇寺で8月17日に行われる伝統行事「盂蘭盆会大施餓鬼法要」に家族で参列した体験と、この法要に込められた深い意味についてご紹介します。

初盆を迎えた特別な夏と六道珍皇寺への参列
昨年7月に東京の義父、12月に京都の実父が亡くなりました。同じ年に両家の父を見送るという二度とない経験を経て迎えた今年の夏は、二人にとっていわゆる「初盆」となりました。
先般お参りした京都・東山の六道珍皇寺では、毎年8月17日に「盂蘭盆会大施餓鬼法要(うらぼんえだいせがきほうよう)」という大規模な行事が執り行われています。当日は大本山である建仁寺からも複数の住職がお見えになり、厳かに読経が響き渡ります。お盆前の「六道まいり」で両家父親の供養を申し込み、17日には東京から義母を含めた家族とともに帰省して参列してまいりました。早めに受付を済ませたことで、間近で迫力ある般若心経を体感しながら手を合わせることができました。
なぜ8月17日?送り火の翌日に行われる意味
京都では8月16日の「五山の送り火」によって、お盆期間中に帰ってきていたお精霊(しょうらい)さんを冥土へとお送りします。その翌日である「8月17日」に法要を行うことには、大きな意味があります。帰っていかれたご先祖様に対し、さらに重ねて冥福を祈る「追善(ついぜん)」の心をもって、しっかりとお供養を捧げるためです。
「盂蘭盆会」と「施餓鬼供養」合わさる2つの教え
この法要は、仏教における大切な2つの供養が組み合わさっています。
・盂蘭盆会(うらぼんえ)法要 サンスクリット語の「ウランバナ(逆さ吊りの苦しみ)」に由来します。苦しみの世界にいる霊を救うため、食べ物や飲み物を供えたことが始まりです。各家庭でお送りした後に、お寺へ集まり合同で供養を行います。
・施餓鬼(せがき)供養 餓鬼道で渇きに苦しむ霊や、身寄りのない無縁仏に手を差し伸べる仏事です。身内だけでなく「あらゆる命や苦しむ存在」へ慈悲を向け、見返りを求めない徳を積む点に特徴があります。
日々の祈りと、また巡り来る夏に向けて
東京の義母は毎日仏壇へ手を合わせ、私自身も東京の自宅で京都と極楽浄土のある西に向かって線香をあげ、父の冥福と母の無事を祈る日々を送っています。
遠く離れていても、日々の祈りと節目のお参りを通じて心はいつでも繋がっています。また来年の夏、お迎えするお盆の日を楽しみに、一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。

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