第158回 介護制度の変遷とともに振り返る「4人の家族との別れ」と高齢者住まいの進化
1990年から2025年。僕がこれまでに経験した4人の大切な家族との別れは、日本の介護制度や医療が目まぐるしく変化してきた歩みそのものでした。祖母の時代から父の最期まで、時代と共に変わった「看取りのカタチ」を僕の視点で振り返ります。
1990年:医療の延長線上にあった「介護」と祖母の死
僕が小学校6年生だった1990年、父方の祖母が胃がんで亡くなりました。ふくよかだったおばあちゃんが、病の影響で少しずつ細くなっていく姿は今も目に焼き付いています。
当時の高齢者福祉を振り返ると、1963年の老人福祉法制定や1973年の老人医療費無料化を経てはいたものの、現代のような「介護」という独立した概念はまだ希薄でした。実務的なケアはあくまで医療の延長線上にあった時代です。
今の高度な医療技術があれば、70代だった祖母の癌はもっと早く見つかり、完治していたかもしれません。当時の医療と現代の進歩の差を思うと、時代の流れを痛感します。
2005年:介護保険制度の始まりと祖父の老衰
社会人5年目となった2005年、95歳で祖父がこの世を去りました。祖父の最晩年は、2000年に施行された「介護保険制度」が社会に浸透し始めた時期と重なります。
1997年の介護保険法成立、2001年の高齢者住まい法制定など、介護が家族の手から社会全体で支えるものへと大きく前進していました。祖父は大きな病気をすることなく、介護施設での生活を経て、天寿を全うするような穏やかな最期でした。
2022年:多様化する高齢者向け住宅と叔母の暮らし
母の妹である叔母を見送ったのは2022年のことでした。叔母は長く介護付き有料老人ホームで暮らしており、最終的には病院で息を引き取りました。
この頃には、2011年に創設された「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」が普及し、介護保険制度も度重なる改正を経て、利用者のニーズに合わせた細やかなサービスが選択できる時代になっていました。介護を取り巻く環境は、まさに日進月歩の勢いで進化を続けていたのです。
2025年:父の最期と「サ高住」という進化系
そして2025年、僕は父を亡くしました。父が終の棲家として選んだのは、これまでの高齢者住まいの進化系ともいえる「サ高住」でした。実家を離れ、そこでの生活は2年に及びました。
整えられた住環境、充実した看護体制、そして手厚い介護サービス。家族の目から見ても、そこは非常に安心できる場所でした。最終的に「看取り」までしっかり対応していただける環境で最期を迎えられたことは、父にとっても僕たち家族にとっても、幸福なことだったと感じています。
これからの超高齢社会に寄せて
祖母が亡くなった1990年当時は10%程度だった高齢化率は、約35年が経過した今、30%に迫る勢いです。僕が歩んできた時間の中で、看取りの現場は確実に「より良いもの」へと変わってきました。
これからさらに深刻な超高齢社会を迎える日本において、住まいや看護、介護のサービスはどのような進化を遂げていくのでしょうか。4人の家族を見送った経験を経て、これからの未来がより優しいものであることを願わずにはいられませんでした。時代は常に動き、僕たちの生活を支える仕組みもまた、変わり続けていくものなのだと思いました。
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