【実体験】両親の介護保険申請から看取りまで。要介護認定の変化と僕が学んだこと#1213
2020年から始まった、京都に住む両親の介護。初めての介護保険申請から、父を看取るまでの数年間で、要介護度は状況に応じて大きく変化しました。申請のタイミングや調査の様子、そして区分変更の難しさなど、僕が実際に経験したリアルなプロセスを詳しく振り返ります。
1. 介護保険申請への第一歩と初めての認定結果
僕の両親の介護保険認定は、2022年に初めて区分が決まりました。しかし、準備はその2年前、2020年に僕が一人で地域包括支援センターへ相談に行った時から始まっていました。
当時は父が88歳、母が80歳。父は加齢による足腰の衰えが目立ち、母には認知症の初期症状が出始めていました。二人とも65歳以上の「第1号被保険者」として、窓口で申請を行い、自宅での訪問調査には僕も立ち会いました。主治医の意見書と合わせて審査された結果、最初の認定は以下の通りでした。
- 父:要支援1(身の回りのことはできるが、家事や金銭管理に支援が必要)
- 母:要介護1(日常生活の一部に手助けや見守りが必要)
ここから、僕たちの本格的な介護生活がスタートしたのです。
2. 区分変更の壁と「却下」された経験
2023年の夏、父が自宅で倒れるなど衰えが顕著になったため、「区分変更」の申請を行いました。介護度が上がれば利用できるサービスも増えると考えたからです。
しかし、訪問調査と医師の意見書を経て出された結果は、まさかの「却下」。要支援1のまま据え置きとなりました。本人が調査の時だけしっかり振る舞ってしまったり、基準に達していなかったりと、介護認定の厳しさを痛感した出来事でした。
3. 急激な体調悪化と「要介護5」への認定
大きな転換期は2024年2月でした。父がサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)へ入居した直後、自室で転倒して負傷。さらに新型コロナ感染や脱アルコールの影響が重なり、入院先の病院で食事も摂れないほど急激に弱ってしまいました。
病院の病室で再度、区分変更を申請。コロナ禍のため僕は立ち会えず、ケアマネジャーさんが調査員として病室を訪ねてくれました。この時の結果は「要介護5」。
「生活全般に全面的な介助が必要な寝たきり状態」という判定でした。当時の父の状況からすれば、非常に納得のいく結果であり、これによって手厚いケアを受けられる体制が整いました。
4. 回復後の再認定と父との別れ
その後、父は奇跡的に回復して退院。サ高住での生活に戻ることができました。1年後の2025年春、更新のタイミングで再度申請を行うと、状態が安定したこともあり「要介護2」へ。これが父にとって最後の認定区分となりました。
その年の12月、父は91歳で旅立ちました。2020年からの数年間、父の体調に合わせて目まぐるしく変わる認定区分に一喜一憂しながらも、公的なサポートを受けられたことは大きな救いでした。
まとめ:介護認定の重みを振り返って
一方で、母は認知症が緩やかに進行しているものの、現在は「要介護1」のまま推移しています。来年1月には更新が控えており、母にとって最適なサポートが受けられるよう、またしっかりと向き合っていく予定です。
父の介護を通じ、状況に応じて適切に申請を行うことの大切さを痛感しました。一時は寝たきりの「5」まで行きましたが、最期は部分的な介助で済む「2」の状態で穏やかに過ごせたのは、本当に良かったと思いました。介護保険という制度に助けられながら、僕なりに精一杯の親孝行ができた日々だったのでした。
あわせて読みたい記事
おすすめの書籍
今回のブログ記事前後の関連記事