第135回 認知症の母がサ高住から「離設」した日。家族ができる対策と祈りの日々#1196
父の法要を終えた直後、施設に入居している母が「離設(徘徊)」を繰り返すという試練が訪れました。タクシーを拾い、かつての自宅へと向かってしまった母。身体は元気でも記憶が混濁するなかで、家族と施設がどのように連携し、どのような物理的な対策を講じたのか。遠距離介護を続ける僕の葛藤と、再発防止への取り組みを記録します。
父の旅立ちと、重なった母の「離設」事件
父が亡くなり、慌ただしく四十九日などの法要を済ませた直後のことでした。京都のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)で暮らす、認知症の進んだ母が施設から外に出てしまう「離設」事件が起こったのです。
一度目はタクシーに乗り込み、かつて住んでいた実家や菩提寺まで移動するという、かなりの距離を伴うものでした。さらに2026年1月にも、再び施設を抜け出し、近くのコンビニで保護されるという事態が続きました。
幸いにも施設スタッフの方々の迅速な対応で事なきを得ましたが、一歩間違えれば交通事故や行方不明に繋がりかねない状況に、僕は深い不安に包まれました。
記憶を辿る母と、変わりゆく現実のギャップ
母が向かった「実家」は、現在は住宅宿泊施設(民泊)として運営されています。また、母方の実家もリフォームを経て別の居住者の方がいらっしゃる貸家となっています。
もし母が「ここは自分の家だ」と主張して立ち入ってしまえば、現在の居住者や利用者の方を巻き込む大きなトラブルになりかねません。何より、耳が遠くなっている母にとって、一人で交通量の多い道路を歩くことはあまりにも危険でした。
僕の心は休まる暇がなく、毎朝起きては父の遺影に線香をあげ、「どうかお母さんをお守りください。外へ徘徊してしまわないように」と手を合わせるのが日課となりました。
「100%は防げない」からこそ、事後の対策を
母が入居して間もない頃にも、実は一度徘徊がありました。当時の僕は「なぜ外に出られないように対策してくれないのか」と施設側に詰め寄ったこともあります。しかし、そこで学んだのは**「本人の自由を制限し、100%出られないようにするのは不可能に近い。大切なのは、出てしまった時のための備えをしておくこと」**という現実でした。
それ以来、母のバッグには住所と連絡先を記したキーホルダーを付け、一時は小型GPSを忍ばせるなど、介護サービスと連携した「見守り体制」を整えてきました。
施設と連携して実施した「3つの物理的対策」
今回の連続した離設を受けて、施設側と協議し、以下のような具体的な対策を講じることになりました。
- 外履きの靴を隠す工夫 エントランスの集合下駄箱にあった母の靴を、扉付きの高い棚へ移動しました。デイサービスや僕との散歩時のみ取り出す運用です。
- ルームシューズの変更 そのまま外に歩いて行きやすいルームシューズから、外歩きには適さない普通のスリッパに履き替えを依頼しました。
- 活動頻度の調整 外部との接点を増やし、意識を充実させるため、週2回のデイサービスを週3回に増やせないか調整を始めました。
僕自身も、下駄箱の母のスペースに「外に出る時はスタッフに声をかけて」というメモを貼り、ふとした瞬間の抑止力になるよう工夫を凝らしました。
家族として、今できる最善を尽くして
母は年齢のわりに非常に健脚で、どこまででも歩いていけてしまう体力が残っています。それは喜ばしいことである反面、介護する側にとっては常に緊張を強いられる要因でもあります。
物理的な対策を講じ、施設と密に連絡を取り合っても、最後は無事を祈るしかないのが遠距離介護の切実な現実です。父が亡きあと、母が少しでも穏やかに、そして安全に過ごせるよう、どうにか良い方向に進んでほしいと心から願うばかりなのでした。
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