第124回 遠距離介護の末に迎えた父の最期。東京から京都へ、感謝で結ぶ5年間の軌跡#1185
2025年12月8日、京都で暮らす父が旅立ちました。2020年から始まった東京との二拠点による遠距離介護。最期に立ち会うことは叶いませんでしたが、新幹線での移動中に去来したのは、悲しみ以上に「やり切った」という確かな達成感でした。父との最後の日々を振り返ります。
穏やかな旅立ちと、朝一番の新幹線
「先ほどの巡回の際に、お父さまはもう息をしてらっしゃらなかった……」 未明、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)の看護師さんからの電話で、その時が来たことを知りました。僕は朝6時、東京駅発の新幹線に飛び乗り、住み慣れた京都へと向かいました。
2025年12月8日。この日が父の命日となりました。11月末に容態が急変し、水分摂取もままならず、腎臓の機能が停止してからも、父は驚くほどの生命力を見せてくれました。最後の瞬間まで生きようとしたその背中は、僕の記憶に深く刻み込まれています。
遠距離介護の5年間で得た「達成感」
残念ながら息を引き取る瞬間に立ち会うことはできませんでしたが、僕の心は不思議と穏やかでした。2020年から始まった介護対応、2024年の転居や入院騒動。激動の日々の中で、父とは数えきれないほどの言葉を交わし、多くの「感謝」を伝えてもらうことができたからです。
「もう、できる限りのことは精一杯やった」 新幹線の車窓を流れる景色を眺めながら、僕はそんな達成感の中にいました。悲しみに打ちひしがれるのでもなく、かといって眠れるほど落ち着いているわけでもない。これまでの思い出がゆっくりと整理されていくような、不思議な3時間でした。
父との対面、そして母への報告
施設に到着すると、つい先ほど主治医による死亡確認が終わったところでした。部屋に入り、父と対面します。数年前、京都の実家で母と二人暮らしをしていた頃の父は、時に手がつけられないほど奔放な面もあり、最期はどうなることかと案じた時期もありました。
しかし、目の前に横たわる父の表情は、驚くほど穏やかでした。冷たくなった頬に触れながら、大きな苦しみもなく旅立てたことに、どこか救われるような思いがしました。
その後、同じ施設内の別室で暮らす母に状況を伝えました。認知症が進んでいる母ですが、横たわる父の姿を前にして「いつの間にこんなに弱って……もうあかんか」と、その瞬間は現実をしっかりと受け止めているようでした。
あわただしく動き出した「最後の大仕事」
対面を終えた直後から、葬儀社の手配、菩提寺の住職への連絡、そして病院への死亡診断書の受け取りと、休む間もなく「次に行うべきこと」が押し寄せてきました。
父が遺してくれた縁を一つひとつ手繰り寄せながら動くこの一日は、僕にとって父への最後のご奉公のような気がしました。
まとめ:家族の絆を次へつなぐ
父の旅立ちは一つの区切りですが、母のサポートはこれからも続いていきます。これまでの5年間で築いてきた家族の形を大切にしながら、これからも母の生活を穏やかに見守っていきたいと思いました。
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