第123回 父の旅立ちと「やりきった」という想い。5年間にわたる両親の介護、一つの節目#1184
2020年から始まった両親の介護。京都のサ高住で過ごす父の容態が急変し、東京と京都を往復しながら寄り添った日々。12月8日の早朝、一本の電話が父の最期を告げました。息子として感じた「達成感」と、母と共に歩んできたこれまでの道のりを振り返ります。
遠距離介護の合間に訪れた、ひと時の休息
2025年12月4日。京都のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)に入居している父は、すでに水分補給だけで命を繋いでいる状態でした。連日の面会疲れもあり、リフレッシュを兼ねて、いったん家族の待つ東京へ約10日ぶりに戻ることにしました。
施設の方の「血圧も安定しているから大丈夫ですよ」という言葉に背中を押され、何かあれば即座に駆けつける前提での移動でした。
「看取りに立ち会えないかもしれない」という考えも頭をよぎりましたが、当時の私には不思議と**「ある種の達成感」**のようなものが宿っていました。
父と向き合い続けた、2020年からの歩み
この達成感は、2020年から始まった両親の介護対応への自負だったのかもしれません。
- 意思疎通が困難になった父との、手探りのやり取り
- 住み慣れた場所からサ高住への引っ越し
- 容態急変後、母と一緒に父の部屋を訪ね続けた毎日
祖母の命日である11月29日を越え、一日でも長く生きようと懸命に頑張る父の身体。そんなことを考えると、「もうできることはやった」という静かな納得感がありました。
「大好きなオロナミンCを」父が繋いだ最期の数日
東京に戻ってからの数日間、施設からの連絡はありませんでした。連絡がないことこそが、父が今も頑張っている証拠。私は、介護物資がなくなるであろう12月8日に再び京都へ戻り、面会を再開する予定でした。その時こそが本当の最後の日々になるだろう、と。
12月7日、ヘルパーさんと連絡を取ると「少し衰弱しているが、まだ水分補給は続けられています」とのこと。そして**「お茶とオロナミンCを、来られるとき持って来てください」**と指示をいただきました。
死の淵にあっても、大好きだった炭酸飲料を欲する父。その変わらぬ好みに、少しだけ微笑ましい気持ちになったのを覚えています。
12月8日、静かな旅立ち
運命の電話が鳴ったのは、移動を予定していた当日の朝でした。12月8日、午前4時半。サ高住の看護師さんの声が響きます。
「先ほど巡回で部屋を訪問した際、もう息をされていませんでした、、」
私は比較的冷静にその言葉を受け止め、当初の予定を早めて午前6時発の始発の新幹線に乗るべく準備を始めました。眠る妻を叩き起こし、「向こうに行っていろいろ手続きしてくるから、葬儀の日程が決まり次第連絡する」と伝え、東京を出発したのです。
父を見送り、そしてこれからも続いていく母のサポート。2020年から始まった両親への介護は、一つの大きな節目を迎えました。
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