第121回 父の旅立ちの合図|祖母の命日に見た夢と、最期まで生き抜いた生命の記録#
2025年11月、京都。水分しか摂れなくなった父の傍らで過ごした数日間、僕は「危篤」の本当の意味と、医学では説明できない生命の力を目の当たりにしました。父の母親(祖母)の命日に見た不思議な夢、そして父が遺してくれた「さようなら」のメッセージ。最期まで懸命に生きようとした父の姿を、僕の視点で綴ります。
「危篤」ではない、懸命に生きる時間
2025年11月26日、僕は急いで京都へと向かいました。水分を摂るのが精一杯となった父の面会を続ける中で、僕はひとつ勘違いしていたことがありました。
当時の僕は、父の状態を「危篤」だと思い込んでいたのです。しかし、実際にはそうではありませんでした。尿が出なくなり、血圧が急激に下がって意識を失う状態こそが厳密な「危篤」であり、水分を自力で摂取し、排便もできている父は、最期の時間を懸命に「生きて」いる状態だったのです。
主治医の先生からも「医学的にはいつ血圧が下がってもおかしくない状況ですが、これだけ水分を摂って頑張られているのは、もう説明がつかない領域です」と、父の生命力に感服されていました。
祖母の命日に訪れた、不思議な別れ
11月29日、その日は父の母親である僕の祖母の命日でした。「自分の母親の命日を越えて頑張れるかな」と心の中で語りかけていた、その未明のことです。
実家で眠っていた僕の夢の中に、父が現れました。 場所はホテルのロータリー。父はライトグレーのジャケットを羽織り、えんじ色のマフラーを巻いていました。それは、父がここぞという時に着る「よそ行き」の正装でした。
「おぉ、それじゃお世話になりました!」
父は晴れやかな笑顔で手を上げ、タクシーに乗り込んで出発していきました。目が覚めた瞬間、僕は直感しました。あぁ、これが父なりの「さようなら」の挨拶だったんだな、と。
旅立ちの衣装と、焼き付けた記憶
僕は忘れないうちに、夢の中で父が着ていたジャケットとマフラーの姿をメモに書き留めました。そしてその日のうちに、物置の奥から本物のジャケットとマフラーを引っ張り出してきたのです。父が旅立つ時、このお気に入りの正装を着せてあげようと心に決めました。
11月30日、そして12月1日。 腎臓の機能が止まり、尿が1週間も出ていないという過酷な状況下でも、父はスタッフの方に助けられながら水分を摂り、安定した血圧を保っていました。
医学の常識を超えて、最後の最後まで「生きよう」とする父の姿。毎日欠かさず面会に通い、その力強い生き様を僕はしっかりと目に焼き付けました。残された時間を精一杯生き抜くことの尊さを、父から教えてもらったように思いました。
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