第117回 【実録】父の最期が迫る予兆。メカ好きだった父が遺したメッセージと介護の現実#1178
2025年10月、2週間おきに東京から京都へ通う遠距離介護を続けていた私に、父との「別れの時」が刻一刻と近づいていることを実感する出来事が増えていきました。食事量の減少、急激な体重低下、そして最後まで手放さなかったスマホ。メカ好きだった父が最期まで伝えたかったこととは。同じように親の終末期に向き合う方へ、私自身の体験を綴ります。
1. 遠距離介護の中で感じた「変化」の兆し
2025年10月後半、私の生活は東京と京都を往復する日々でした。2週間に一度、数日滞在しては日用品の補給や面会を繰り返していましたが、日に日に父の衰えが隠せなくなってきました。
それまでは2階の自室から1階の食堂まで降り、母と一緒に食事を摂るのが日課でしたが、次第に起き上がることさえ困難に。ヘルパーさんに部屋まで食事を運んでもらうようになり、その量も全盛期の半分ほどにまで減っていきました。
2. 身体の悲鳴と施設からの報告
身体的な衰えは数字や目に見える形でも現れ始めました。トイレへの移動は手すり伝いに自力でこなしていましたが、便に血が混じることが増えていました。本人は「持病の痔のせいだ」と言い張っていましたが、夏の体調不良による影響は明らかでした。
サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)の施設長からも、厳しい現状を告げられました。
「今、施設内で一番心配なのがお父様です。スタッフの朝礼でも毎日状況を共有しています。この1か月で体重が10kgも落ちてしまいました」
この言葉を聞いた時、もはや「回復」を期待できる段階ではないこと、そして「いよいよその時が来たのだ」という覚悟を決めざるを得ませんでした。
3. メカ好きだった父との忘れられない思い出
父は昔から新しい機械が大好きで、家電を自在に使いこなす人でした。今でも鮮明に覚えているのは、私が小学1年生のクリスマスの朝です。
当時、大流行していた「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」をプレゼントしてくれたのですが、古いテレビへの接続は子供には至難の業。父が四苦八苦しながら配線してくれたおかげで、目が覚めたらすぐにゲームができるようになっていました。あの時のワクワクした気持ちは、今でも私の大切な宝物です。
4. 最期までスマホで繋がり続けた父の想い
そんな父の「メカ好き」は、最晩年になっても変わりませんでした。 体力が落ち、目が疲れやすくなっても、テレビの代わりに「radiko」でラジオを聴き、iPhone XRを片手に孫たちの写真を眺める。そして、私とも頻繁に電話やメッセージでやり取りをしていました。
弱っていく体で、父が最後まで送り続けてきたメッセージ。
- 「食事が摂れなくなってきた」
- 「お母さんの物忘れが心配でならない、何とかしてやってほしい」
- 「しんどい」
それは、自分自身の苦しさよりも、後に残る家族、特に連れ添った母を案じる父なりの「最後の責任感」だったのかもしれません。
5. 11月、最期の時へのカウントダウン
10月から11月にかけて、父の命の灯火は少しずつ、しかし確実に小さくなっていきました。弱音を吐きながらも、テクノロジーを駆使して家族と繋がり続けようとした父の姿。
そして11月下旬。私たち家族にとって、いよいよ避けることのできない「最期の時」が訪れようとしていました。
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