【京都検定】「祇園小唄」の生みの親・長田幹彦と花街に刻まれた足跡#1150
「月はおぼろに東山」のフレーズで知られる名曲『祇園小唄』。京都を代表するこの歌が、実は映画の宣伝から生まれたことをご存知でしょうか?今回は、京都検定でも頻出の作家・長田幹彦と、彼が愛した祇園・先斗町のエピソードを詳しく解説します。受験生必見の備忘録としてご活用ください。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 第1問: 東京出身の作家で、大正期から祇園に通い詰め『尼僧』などの「祇園もの」を多く執筆した人物は誰か。
- 第2問: 昭和5年(1930)、長田幹彦の作品を原作として無声映画『祇園小唄絵日傘』を製作した映画会社はどこか。
- 第3問: 長田幹彦が作詞し、「月はおぼろに東山」の歌い出しで知られる、昭和初期に大流行した楽曲のタイトルは何か。
- 第4問: 「祇園小唄」の歌詞が鴨川の情景を多く含んでいたことから、先斗町の組合が不満を抱いたことをきっかけに作られた楽曲は何か。
- 第5問: 現在、京都市内の円山公園に建立されている、長田幹彦の功績を称える石碑は何の歌碑か。
☆回答は記事の最後にあります。
京都の情緒を象徴する名曲「祇園小唄」。この歌を語る上で欠かせないのが、作家・**長田幹彦(ながた みきひこ)**です。京都検定でも頻出の、彼と花街の深い関わりについて解説します。
目次
長田幹彦の経歴:東京出身の作家がなぜ京都に?
長田幹彦は、明治20年(1887年)に東京で生まれました。早稲田大学英文科で学び、文学の世界へ足を踏み入れます。
- 文壇デビュー: 雑誌『スバル』に掲載された**『澪(みお)』**で注目を集めます。
- 祇園への心酔: 大正の初め頃から京都の祇園に出入りするようになり、その美しさと情緒に魅了されました。
- 代表作: 『尼僧』など、京都の花街を舞台にした一連の**「祇園もの」**を執筆し、人気作家としての地位を確立しました。
「祇園小唄」の誕生秘話:映画との深い関係
今や「京都の第二の国歌」とも言われる「祇園小唄」ですが、実は映画のプロモーションから生まれた歌でした。
- 昭和5年(1930年): 日本映画の父・牧野省三率いるマキノ映画が、長田の作品を原作とした無声映画**『祇園小唄絵日傘』**(3部作)を製作。
- 画期的な宣伝: 上映に合わせて、長田自身が作詞した歌をレコードに吹き込みました。映画館の表で舞妓が実際に歌い、宣伝活動を行ったことが大きな話題となりました。
- 名曲のフレーズ: **「月はおぼろに東山…」**で始まるこの歌は、作曲家・佐々紅華のメロディとともに、瞬く間に全国へ広がりました。
先斗町からのクレーム?「鴨川小唄」への展開
「祇園小唄」の大ヒットの裏には、花街同士のライバル意識が垣間見える面白いエピソードがあります。
- 先斗町の不満: 歌詞のほとんどが鴨川付近の情景を描いていたため、対岸の先斗町(ぽんとちょう)の組合から「これでは先斗町の歌ではないか」というクレームが入ったといわれています。
- 長田の対応: そこで長田は、自身の原作である『木屋町夜話』に合わせ、新たに**『鴨川小唄』**を書き下ろし、レコード化しました。

このように、長田幹彦は作品を通じて京都の各花街の個性を描き分け、現代に続く「京都のイメージ」を定着させた功労者と言えます。
まとめ:京都検定に向けたチェックポイント
- 長田幹彦 = 東京出身だが、祇園を愛し「祇園もの」を多く執筆。
- 祇園小唄 = 昭和5年、映画『祇園小唄絵日傘』の主題歌として誕生。
- 歌詞 = 「月はおぼろに東山」で有名。
- 石碑 = 現在、円山公園内に「祇園小唄」の歌碑が建立されています。

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前述の練習問題の解答☆
- 長田幹彦(ながた みきひこ)
- マキノ映画(マキノ・プロダクション)
- 祇園小唄(ぎおんこうた)
- 鴨川小唄(かもがわこうた)
- 祇園小唄の歌碑

