👘 西陣織を革新した立役者たち:日本の伝統を世界へ導いた人物伝#1097
京都が誇る伝統工芸、西陣織。その華麗なきらめきは、明治時代にヨーロッパの最新技術を積極的に導入し、日本の織物技術に革命をもたらした先人たちの努力によって支えられています。本記事では、伊達弥助(4世)と井上伊兵衛という、西陣織を世界レベルへ引き上げた二人の偉人の功績と、そのドラマチックな技術革新の歴史をご紹介します。
- 明治6年(1873年)にウィーン万博へ派遣され、帰国後にジャカード織機の普及のきっかけを作った西陣織の織物業者・技師は誰ですか。
- 井上伊兵衛が、佐倉常七、吉田忠七らと共に明治5年(1872年)に留学し、西洋式の織物技法を学んだフランスの都市はどこですか。
- 4世伊達弥助が、織物業の傍ら特に改良に尽力した、織物の原料に関わる二つの分野を挙げてください。
- 井上伊兵衛がジャカードの機法を伝授した、京都に設けられた府営織工場は、後に何と呼ばれるようになりましたか。
- 5世伊達弥助の功績を称える顕彰碑が立てられている場所は、京都のどの神社の北門の外ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
京都の誇る伝統工芸品、西陣織。その華麗なきらめきは、遥かな時を超えて受け継がれてきました。しかし、この伝統を現代に繋ぐまでには、常に新しい技術を学び取り、困難に挑んだ先人たちの努力がありました。
ここでは、明治時代に西陣織を世界レベルへ引き上げ、日本の織物技術に革命をもたらした、伊達弥助(4世)と井上伊兵衛の功績をご紹介します。
明治の織物技術をリードした偉人たち
👨🔧 伊達弥助(4世):養蚕・製糸から機織までを改良
**伊達弥助(よんせい)**は、西陣の機屋(はたや:織物業者)に生まれ、家業の枠を超えて日本の織物全体の品質向上に尽力しました。
- 技術改良への貢献: 織物業者でありながら、その原料である養蚕や製糸の改良にも心血を注ぎました。
- ウィーン万博への派遣とジャカード機:
- **明治6年(1873年)**には、ヨーロッパの先進技術を学ぶため、ウィーン万博に派遣されました。
- この経験が、複雑な文様を自動で織り出すジャカード織機を西陣に広めるきっかけとなりました。
💡 受け継がれた功績:5世 伊達弥助
子の5世 伊達弥助も父の技術者としての精神を受け継ぎ、日本の伝統的な意匠を積極的に織物に導入しました。彼は帝室技芸員に選ばれ、また、臨時全国宝物取り調べ局御用掛も務めるなど、技術と美の融合に大きな功績を残しました。
📌 備忘録メモ 5世伊達弥助の功績を称える顕彰碑は、北野天満宮の北門の外にあります。
🇫🇷 井上伊兵衛:フランス・リヨンで西洋の技法を習得
井上伊兵衛は、西陣織に決定的な近代化をもたらした人物の一人です。
- フランス留学による技術習得:
- 明治5年(1872年)、佐倉常七、吉田忠七らと共に京都府留学生としてフランスへ渡航。
- 当時、織物産業の中心地であったリヨンで、最新の西洋式織物技法を学びました。
- ジャカード機の導入と普及:
- 帰国時には、学んだ技術の根幹となるジャカード機を輸入。
- 京都に設けられた府営織工場(のちの織殿(おりどの))で、習得したジャカードの**機法(織り方)**を熱心に伝授し、西陣の技術革新に大きく貢献しました。
結びに
これらの先人たちの尽力により、西陣織は伝統の技術を守りながら、世界に誇れる現代的な織物へと発展を遂げました。彼らが導入したジャカード機は、今も西陣織の生産に欠かせない技術となっています。
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