⚔️ 京を彩った武将たちの足跡:「京都と戦国武将たち」備忘録 🏯#1085

戦国の世を駆け抜けた武将たちは、都・京都にその名を深く刻み込みました。この記事では、徳川家康、織田信長、明智光秀、前田利家、黒田長政ら、歴史を動かした武将たちの京都での足跡や、彼らが残した寺院、ゆかりの場所などをエピソードと共に解説します。京都の歴史のロマンに触れる旅の準備として、ぜひご覧ください。

この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
  1. 徳川家康が後妻として迎えた、豊臣秀吉の妹の名前は何でしょうか。
  2. 戦国武将のうち、京都の伏見に「加賀屋町」としてその名残を残しているのは誰でしょうか。
  3. 織田信長が、当時の将軍・足利義昭のために現在の京都御苑の西に建てさせた城の名称は何でしょうか。
  4. 豊臣秀吉の軍師として活躍し、子の長政に家督を譲って隠居した後、「如水」と号したのは誰でしょうか。
  5. 黒田長政が父の菩提を弔うために慶長11年(1606年)に建立した、大徳寺の塔頭の名称は何でしょうか。

☆回答は記事の最後にあります。

戦国の世を駆け抜けた武将たちは、都・京都にその名を刻み、深い足跡を残しました。彼らの人生や、京都に残されたゆかりの地を巡ることは、歴史のロマンを感じさせてくれます。


徳川家康

江戸幕府を開いた徳川家康は、二度の結婚で異なる背景を持つ女性を妻に迎えています。

  • 最初の妻: 駿河の持舟城主・関口義広の娘、築山殿(つきやまどの)。
  • 後妻:豊臣秀吉の妹である旭姫。家康と秀吉の間の関係を強固にするための政略結婚でした。

明智光秀

本能寺の変を起こしたことで知られる明智光秀は、生涯で二人を妻に迎えています。

  • 先妻: 近江の豪族、永原仁左衛門の娘。
  • 後妻: 妻木範熙(つまきのりひろ)の娘。

前田利家

豊臣政権下で五大老の一人に数えられた前田利家は、京都にもその名残があります。

  • ゆかりの地: 京都の伏見には、彼の屋敷があったことに由来する加賀屋町としてその名が残っています。

織田信長

戦国時代を代表する英傑、織田信長は、京都の政治情勢に大きな影響を与えました。

  • 京都支配の象徴: 政治的見せしめのために上京を焼き討ちにしたことがあります。
  • 居城: 彼は将軍・足利義昭のために、現在の京都御苑の西にあたる場所に旧二条城を建てさせました。
  • 妻: 美濃の斎藤道三の娘、濃姫(帰蝶)。

黒田長政と黒田官兵衛(孝高)

豊臣秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛(如水、孝高)と、その子で福岡藩の藩祖となった黒田長政は、京都にも深い関わりを持ちました。

  • 黒田家の興り:
    • 長政の祖父、黒田職隆は播磨の御着(現在の姫路市)の土豪で、御着城主の小寺氏に仕えていました。
    • 職隆の子、官兵衛孝高(よしたか)が上京し、後に織田信長に仕え、信長の死後は豊臣秀吉に服して仕えることになります。
  • 官兵衛の活躍: 孝高は秀吉の中国・九州征伐前駆(露払い、先導役)を務めるなど功を立て、豊前(大分県)の中津の城主となりました。
  • 隠居と法号: 孝高は隠居して子の長政に家督を譲り、自身は如水と号しました。
  • 京都の寺院:黒田長政が父・孝高(如水)の菩提を弔うため、慶長11年(1606年)に春屋宗園を開山として建立したのが、龍光院(大徳寺の塔頭)です。

ブログ記事としてまとめましたが、これらの武将たちのエピソードは、京都の歴史をより深く知る上で欠かせない要素です。

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この記事を書いた人
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ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳を運営しています。
京都市出身、現在は東京都江東区に住まい、妻と一緒に小学生&保育園の二人の子育て中。両親の介護で京都との二拠点生活です。
「野菜作りを楽しむ」をコンセプトにした家庭菜園や農体験の運営を仕事として10年やってきました。今は独立して様々な情報発信などのお仕事と、不動産の管理などをしています。

前述の練習問題の解答☆
  1. 旭姫
  2. 前田利家
  3. 旧二条城
  4. 黒田孝高(または黒田官兵衛
  5. 龍光院

2026年1月4日

Posted by ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳