🎨 琳派の二大巨匠に迫る!俵屋宗達と尾形光琳の世界#1077
京都の美を語る上で欠かせない二人の天才、俵屋宗達と尾形光琳。琳派の源流を築いた宗達と、その様式を豪華絢爛に発展させた光琳の魅力と代表作を分かりやすく解説します。これから京都の美術を学び始める人へ向けた入門編です。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 俵屋宗達が江戸時代初期に活動の拠点とした都市はどこですか。
- 宗達が本阿弥光悦と共同制作を行った際に、光悦の書の下絵に宗達が用いた豪華な装飾画材は何と何ですか。
- 俵屋宗達が本阿弥光悦や千少庵らと交際があったことから、宗達はどのような職業の画家として位置づけられていますか。
- 尾形光琳が琳派の様式を継承・発展させる前に、基礎として学んだ主流の画派は何ですか。
- 俵屋宗達と尾形光琳の二人の画家が確立・発展させ、日本の美術史に大きな影響を与えた芸術様式の名称は何ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
これから京都の美の世界を探求する人へ向けて、二人の天才画家とその魅力をご紹介します。
🌟 俵屋宗達(たわらや そうたつ)の魅力
宗達は江戸時代初期に活躍した、京都を拠点とする商人画家でした。その独創的な画風は、後の芸術家たちに大きな影響を与え、「琳派(りんぱ)」の源流を築いた人物とされています。
- 🎨 交流の広がり 文化人たちとの幅広い交流が、宗達の芸術を育みました。特に、書家として名高い本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)、茶人である千少庵(せんの しょうあん)、公卿歌人である**烏丸光広(からすま みつひろ)**など、当時のトップクラスの芸術家たちとの親密な交際がありました。
- 📜 光悦とのコラボレーション 宗達と光悦の共同制作は特に有名です。光悦の書の下絵に宗達が金泥や銀泥を用いて豪華な装飾を施した**「四季草花図下絵和歌巻」**などは、二人の美意識が見事に融合した傑作として知られています。
- 🏛️ 宗達の代表作 宗達の作品は、その大胆な構図と色彩表現が特徴です。
- 醍醐寺の「舞楽図」(重要文化財)
- 養源院(ようげんいん)の「松図襖絵」 および 「杉戸白象図」(いずれも重要文化財)
🖌️ 尾形光琳(おがた こうりん)の登場
宗達からおよそ100年後の江戸時代前期に活躍したのが、尾形光琳です。宗達が確立した琳派の様式を継承・発展させ、その名を不動のものとしました。
- 🖼️ 画風の継承と革新 光琳はまず、当時の主流派であった**狩野派(かのうは)の絵を学びました。その後、宗達の独創的な画風に強く惹かれ、その技術と精神を学び取りました。宗達の美意識を基盤としつつ、さらに豪華絢爛で装飾性の高い独自の作風を確立したことで、「琳派」**を広く世に知らしめることになります。
💖 宗達と光琳:二人が織りなす「琳派」の魅力
この二人の天才の画風(琳派)は、金銀をふんだんに使い、大胆な省略と装飾性、そして洗練されたデザイン感覚が大きな特徴です。この美意識は、絵画にとどまらず、工芸や衣装のデザインにも大きな影響を与え、日本の美術史において独自の輝きを放ち続けています。
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- 京都
- 金泥(きんでい)と銀泥(ぎんでい)
- 商人画家
- 狩野派(かのうは)
- 琳派(りんぱ)