🍵 古都の風雅を味わう:京都「茶」の世界へようこそ#1045
京都の文化に欠かせない「お茶の産地」の歴史と、茶の湯の精神性を高める空間「露地」。この記事では、鎌倉時代から続くお茶の産地の変遷や、千利休が完成させた「露地」の意味と構成要素を解説。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 鎌倉末期から南北朝期にかけて、産地の茶を飲み分け、本茶と非茶を識別して争われた会合を何と呼びますか。
- 闘茶会が流行した時期に、「本茶」とされ最も品質が優れているとされた産地はどこですか。
- 栂尾に遅れて製茶が盛んになり、やがて本茶の地位を確立したことで知られる茶の産地はどこですか。
- 千利休の頃から、草庵茶の理想である「山居の趣き」を強めるために、茶室に付属する庭を何と呼ぶようになりましたか。
- 千利休が、茶庭の呼び名に世俗を離れた境地を説く法華経の教えになぞらえた名称を答えなさい。
☆回答は記事の最後にあります。
古都の風雅を深く味わいたい方へ、歴史と美意識が凝縮された京都「茶」の世界へご案内します。
目次
はじめに
京都の文化を語る上で欠かせない「茶の湯」と、その源となる「お茶の産地」。そして、茶の湯の精神性を高める空間「露地」。これらは単なる文化や景色ではなく、京都の歴史と美意識が凝縮されたものです。この記事では、これから京都の奥深い魅力に触れたい方に向けて、「お茶の産地と露地」の基礎知識とその魅力をまとめてご紹介します。
🌱 京都茶の産地と歴史:本茶の変遷
京都の茶は、古くからその品質を競い、文化の中心として発展してきました。
1. 闘茶会と「本茶」の始まり
- 闘茶会の流行: 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、産地の茶を飲み分け、品質の良い茶(本茶)とそうでない茶(非茶)を識別し、賞品を賭けて争う「茶寄せ合い」(闘茶会)が武家や庶民の間で大流行しました。
- 初期の「本茶」: この時期、最も優れているとされ「本茶」とされたのは、栂尾(とがのお) の茶でした。
2. 主要な製茶地
- 初期の産地: 栂尾の他にも、仁和寺、醍醐、宇治、葉室など、京の周辺で製茶が盛んに行われていました。
3. 宇治茶の台頭
- 宇治の発展: 宇治での製茶は、栂尾にやや遅れて盛んになりましたが、やがてその品質の高さから栂尾茶に代わり、宇治茶 が「本茶」の地位を確立しました。
- 和束(わづか): 江戸時代から続く茶の産地で、現在も京都を代表する茶産地の一つです。
✨ 露地(ろじ):茶室への精神的な通路
「露地」は、単なる庭ではなく、茶の湯の精神世界を表現し、客人を非日常へと誘うための重要な装置です。
1. 露地の成立と語源
- 茶の湯との一体化: 露地は、茶の湯の発展とともに成立した庭園です。
- 表記の変遷: 昔は単に「路地」と書かれていました。
- 千利休による意味づけ:千利休(1522~91年)の頃から、草庵の小さな茶室で行う「草庵茶」(侘び茶)の精神性を強調する傾向が強まり、「露地」という字があてられるようになりました。
- 利休は、茶庭を露地と呼ぶことで、世俗の煩悩を離れた境地を説く法華経の「露地」 の思想になぞらえ、仏界に結びつけました。
2. 露地の役割と構成
- 世俗からの隔離: 露地は、茶室に付属する庭で、茶の湯の世界を世俗から隔離する 役割を持ちます。
- 山居の趣き: 草庵茶の理想とする「山居(さんきょ)の趣き」(山中に暮らすような静けさ)を強調します。
- 客を誘う仕掛け: 客人が茶室へ向かう苑路(アプローチ)を主体とし、客人へ「山居に赴く気分」を味わわせ、精神的な準備 を整えさせる設備としての機能を持っています。
- 主な設備:
- 手水鉢(ちょうずばち): 手を清めるための設備。
- 腰掛: 茶室に入るまでの待ち合いに使う椅子。
- 雪隠(せっちん): 便所(飾りとして設けられることも多い)。
- 中門(ちゅうもん): 内露地と外露地を区切る門。
終わりに
宇治の茶畑が織りなす風景と、静寂の中、にじり口へと誘う露地。これらは京都の美意識を体現し、訪れる人々に奥ゆかしい風雅を伝えています。ぜひ、京都を訪れる際には、一杯のお茶と、その背景にある「露地」の精神性に思いを馳せてみてください。

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前述の練習問題の解答☆
- 茶寄せ合い(闘茶会)
- 栂尾(とがのお)
- 宇治
- 露地(ろじ)
- 露地(ろじ)


