🌸京都の寺院(あ行い・う)#980
「因幡堂」「今熊野観音寺」「雨宝院」「雲林院」など、京都検定の受験で必須となる「あ行・い行・う行」の寺院を徹底解説。創建の経緯や歴史、関連する出来事、通称などを、これから受験を目指す人の備忘録として分かりやすくまとめました。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 因幡堂の正式名称は何という寺院名ですか。
- 因幡堂を創建し、海から拾い上げた薬師像を安置したとされる国守の名を答えなさい。
- 応永25年(1418年)に因幡堂を巡って争った、二つの寺院(うち一つは園城寺)の名を答えなさい。
- 「西陣聖天」という別名を持ち、空海が嵯峨天皇の病気平癒を祈って歓喜天を刻んでおさめたとされる寺院を答えなさい。
- もとは淳和天皇の離宮・紫野院であったが、後に雲林亭と改称された寺院名を答えなさい。
☆回答は記事の最後にあります。
因幡堂(いんばどう)
- 正式名称: 平等寺(びょうどうじ)
- 通称: 因幡薬師
- 所在地: 松原通 烏丸
- 宗派: 真言宗
- 創建の経緯:
- 因幡(いなば)の国守であった**橘行平(たちばなのゆきひら)**が、海から拾い上げられた薬師如来像を京都に運びました。
- 烏丸高辻に堂を建てて安置し、「因幡堂」と名付けました。
- 信仰・歴史:
- 朝廷の信仰が篤く、室町時代には庶民の間にも信仰が広まりました。
- **「町堂(まちどう)」**としての役割も持ち、革堂(こうどう)と並び称されました。
- 歴史的事件: 応永25年(1418年)には、因幡堂を巡る**園城寺(おんじょうじ)と聖護院(しょうごいん)**の争いがありました。園城寺の衆徒が攻撃するという風聞に対し、近辺の民衆が昼夜にわたって集まり警戒したという記述が『康富記』に残されています。
今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)
- 西国三十三所: 第15番札所
- 本尊: 十一面観音
雨宝院(うほういん)
- 所在地: 上立売通 智恵光院西入(にしいる)
- 別名: 西陣聖天(にしじんしょうてん)
- 創建の経緯:
- 空海(弘法大師)が、嵯峨天皇の病気平癒を祈って、六臂(ろっぴ)の**歓喜天(かんきてん)**を刻んでおさめたのが始まりと伝わります。
雲林院(うりんいん)
- 起源: もとは**淳和天皇(じゅんなてんのう)の離宮であった紫野院(むらさきのいん)**です。
- 改称: やがて**雲林亭(うりんてい)**と改称されました。
あわせて読みたい記事
おすすめの書籍
リンク
今回のブログ記事前後の関連記事
前述の練習問題の解答☆
- 平等寺(びょうどうじ)
- 橘行平(たちばなのゆきひら)
- 聖護院(しょうごいん)
- 雨宝院(うほういん)
- 雲林院(うりんいん)