🎭 京都の狂言:能と並ぶ滑稽の芸能#959
能と対をなす滑稽の芸能「狂言」。京都検定の頻出テーマであり、その歴史と流派、そして京都に本拠を置く茂山家の系譜は必修知識です。これから狂言を学ぶ人、京都検定を目指す人のために、狂言の三流派(大蔵流・和泉流・鷺流)の成立から、茂山千五郎家の初代までをポイントで解説し、備忘録として使えるように整理しました。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 狂言の三流派とは、大蔵流、和泉流と、明治維新後に断絶したもう一つの流派は何ですか。
- 狂言において、滑稽味を旨とするセリフを中心とした狂言と組み合わされ、幽玄味を旨とする芸能は何ですか。
- 大蔵流の狂言師の家系で、京都に本拠を置き、九世から「千五郎」を名乗るようになった家は何家ですか。
- 鷺流の流祖とされる戦国時代の人物で、鷺三之丞の甥にあたるのは誰ですか。
- 初世茂山千五郎 正乕(まさとら)が、彦根藩主の召し抱えとなった際に仕えた人物の名前をフルネームでお答えください。
☆回答は記事の最後にあります。

目次
狂言とは
狂言は、滑稽味を旨とするセリフを中心とした芸能です。 幽玄味を旨とする能と組み合わせて演じられ、能の間に滑稽、諧謔(かいぎゃく)を挟み込むことで、観客を一刻の緩和の世界に誘います。
- 成立時期: 室町時代初期に芸能として大成したといわれます。
- 流派の成立: 室町時代後期に、大蔵流・和泉流・鷺流の三流が成立しました。
狂言の三流派
明治維新後、鷺流が断絶したため、現在は大蔵流と和泉流の二流が主流です。
⛩️ 鷺流(さぎりゅう)
戦国時代の鷺三之丞、その甥の**仁右衛門宗玄(にえもんそうげん)**を流祖とします。
- 芸系: 鷺三之丞の師匠は宇治源右衛門、宇治源右衛門の師匠は日吉満五郎。
- 江戸時代:観世座付きとして隆盛を誇りました。
- 断絶:明治維新後に断絶(家元が流派を統率する能力なし)。
- 現在: 現在では、山口県や新潟県佐渡市、佐賀県などで地方芸能化し、一部伝承されています。
🏯 大蔵流(おおくらりゅう)
伝説上は**玄恵法印(げんえほういん)**を祖とします。
- 家元: その芸系は、金春禅竹(こんぱるぜんちく)の末子の四郎次郎、その養子・宇治弥太郎らを経て、**十世大蔵弥右衛門(おおくらやえもん)**が大蔵を名乗りました。
- 家元のしきたり: 家元は、弥太郎または弥右衛門を称するしきたりです。
- 名人:大蔵虎明、大倉虎寛が名人として知られています。
🏘️ 和泉流(いずみりゅう)
鳥飼元光という人物が金春万五郎の教授を受けて、子の**元宜(もとよし)**に授けたのが流派の創始とされています。
- 主な家:宗家の山脇家、三宅と野村の二派があります。
👨👩👧👦 京都に本拠を置く大蔵流 茂山家
大蔵流の系統で、京都に本拠を置く狂言師の家系です。
- 芸系: 近江猿楽、田楽の系統から大和猿楽へつながり、金春禅竹の子、四郎次郎が一座の基礎を固めました。
- 「大蔵」の名乗り: 四郎次郎の養子の宇治弥太郎から、大蔵を名乗るようになりました。
- 禁裏御能: 茂山家七世の源兵衛が寛政年間(1789~1801)の禁裏御能で狂言を演じたのが記録上の最初です。
- 「千五郎」の称:九世から千五郎を名乗るようになりました。
⚡ 初世 茂山千五郎 正乕(まさとら)の系譜
初世茂山千五郎となる茂山正乕(まさとら)は、もともと佐々木忠三郎という名前でした。
- 呉服商の子として生まれ、八世の久蔵の養子に迎えられて九世となります。
- 養父久蔵の死去後、江戸へ赴き、大蔵流家元、弥太郎虎文に入門。
- 帰京の際、宗家から「千」と「乕」の字を贈られ、「千吾正乕」と改名します。
- 後に彦根藩主・井伊直弼に召し抱えられてからは、「千五郎正乕」と名乗るようになりました。

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前述の練習問題の解答☆
- 鷺流(さぎりゅう)
- 能(のう)
- 茂山家(しげやまけ)
- 鷺仁右衛門宗玄(さぎにえもんそうげん)
- 井伊直弼(いいなおすけ)


