🏯 京都検定対策!銀閣寺(慈照寺)のポイント徹底解説メモ 📝#930

これから京都検定を目指す方へ、**銀閣寺(慈照寺)**に関する重要な知識をまとめました。足利義政が築いた東山文化の粋を、一緒にしっかり押さえましょう!

この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
  1. 銀閣寺の正式名称と、その名称の由来となった人物の法号を答えなさい。
  2. 銀閣寺の観音殿(銀閣)は二層の楼閣建築ですが、上層と下層のそれぞれの名称を答えなさい。
  3. 国宝である東求堂内部の、付書院と違い棚を備え、書院造の初期形態を示すとされる四畳半の部屋の名称を答えなさい。
  4. 観音殿(銀閣)の前に広がる、白砂を円錐形に盛り上げたものと、段形に広げた白砂の名称をそれぞれ答えなさい。
  5. 銀閣寺の庭園様式と、その参道に見られる竹垣の名称を答えなさい。

回答は記事の最後にあります

概要・歴史

項目詳細
正式名称東山慈照寺(とうざんじしょうじ)
通称銀閣寺
所在地左京区銀閣寺町
開基足利義政(あしかがよしまさ)- 室町幕府第8代将軍
成立応仁・文明の乱後、文明14年(1482年)に東山の浄土寺の敷地に東山山荘として造営開始。文明15年(1483年)には常御所に移る。
寺格義政の没後(延徳2年/1490年)に、義政の法号「慈照院」にちなんで禅寺(臨済宗相国寺派)となる。
その他慶長年間には関白・近衛前久(さきひさ)の別荘となった後、彼の死後に相国寺の山外塔頭となった。

注目すべき建造物(国宝)

銀閣寺を代表する建物、国宝の二棟は特に重要です。

1. 観音殿(銀閣)

  • 構造:二層の楼閣
  • 別名:通称「銀閣」と呼ばれますが、鹿苑寺の金閣と対比しての呼び名であり、銀箔を貼った形跡はありません
  • 下層心空殿(しんくうでん)- 住宅風の造り。
  • 上層潮音閣(ちょうおんかく)- 禅宗様の仏間。観音像が安置されています。

2. 東求堂(とうぐどう)

  • 意味:「東方の人、西方浄土を求める」の意。
  • 構造持仏堂(義政の仏間)として造られ、入母屋造り檜皮葺(ひわだぶき)の屋根。
  • 内部:阿弥陀如来像と義政公の坐像を安置した仏間、書院(同仁斎)、西六畳などで構成。
    • 同仁斎(どうじんさい):付書院違い棚を備え、現存する草庵茶室の起源とされる部屋。後の書院造初期形態を示す貴重な遺構です。

庭園とその他の要素

東山文化の特徴的な美意識が凝縮された庭園も必見です。

  • 庭園様式池泉回遊式庭園
  • 白砂の造形
    • 向月台(こうげつだい):観音殿の前に広がる、白砂を円錐形に盛り上げたもの。
    • 銀沙灘(ぎんしゃだん):向月台とともに、白砂を段形に広げたもの。
  • 参道:参道沿いの竹垣は、建仁寺垣を変形させた銀閣寺垣として知られています。
  • 手水鉢:東求堂と本堂の間に、幾何学文様がさ型手水鉢が置かれています。

東山山荘(東山殿)の主要な建物群

東山山荘は、観音殿が最後に完成するまでに、以下の建物が次々と竣工しました。

  • 常御所(最初に上棟され義政が移った場所)
  • 西指庵(さいしあん)
  • 超然亭
  • 会所
  • 泉殿
  • 浴室
  • 持仏堂(東求堂)
  • 西指庵の門
  • 庭、船舎、竜背橋
  • 観音殿(最後に完成)

まとめポイント:東山文化の源流

銀閣寺と東求堂の同仁斎は、後の日本の文化に大きな影響を与えた東山文化を代表するものです。この地で生まれた書院造の初期形態や、わび・さびに通じる美意識は、日本庭園、茶の湯、生け花、能といった諸芸術の発展の源流となりました。

✍️ 京都検定ワンポイント!
金閣(鹿苑寺):足利義満(祖父)、北山文化
銀閣(慈照寺):足利義政(孫)、東山文化

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ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳を運営しています。
京都市出身、現在は東京都江東区に住まい、妻と一緒に小学生&保育園の二人の子育て中。両親の介護で京都との二拠点生活です。
「野菜作りを楽しむ」をコンセプトにした家庭菜園や農体験の運営を仕事として10年やってきました。今は独立して様々な情報発信などのお仕事と、不動産の管理などをしています。

前述の練習問題の解答☆
  1. 正式名称は東山慈照寺、由来となった法号は慈照院です。(足利義政の法号)
  2. 上層が潮音閣(ちょうおんかく)、下層が心空殿(しんくうでん)です。
  3. 同仁斎(どうじんさい)
  4. 円錐形に盛り上げたものが向月台(こうげつだい)、段形に広げた白砂が銀沙灘(ぎんしゃだん)です。
  5. 庭園様式は池泉回遊式庭園、竹垣の名称は銀閣寺垣です。

2025年11月3日

Posted by ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳