🏯 京都検定対策!銀閣寺(慈照寺)のポイント徹底解説メモ 📝
これから京都検定を目指す方へ、**銀閣寺(慈照寺)**に関する重要な知識をまとめました。足利義政が築いた東山文化の粋を、一緒にしっかり押さえましょう!
目次
概要・歴史
| 項目 | 詳細 |
| 正式名称 | 東山慈照寺(とうざんじしょうじ) |
| 通称 | 銀閣寺 |
| 所在地 | 左京区銀閣寺町 |
| 開基 | 足利義政(あしかがよしまさ)- 室町幕府第8代将軍 |
| 成立 | 応仁・文明の乱後、文明14年(1482年)に東山の浄土寺の敷地に東山山荘として造営開始。文明15年(1483年)には常御所に移る。 |
| 寺格 | 義政の没後(延徳2年/1490年)に、義政の法号「慈照院」にちなんで禅寺(臨済宗相国寺派)となる。 |
| その他 | 慶長年間には関白・近衛前久(さきひさ)の別荘となった後、彼の死後に相国寺の山外塔頭となった。 |

注目すべき建造物(国宝)
銀閣寺を代表する建物、国宝の二棟は特に重要です。
1. 観音殿(銀閣)
- 構造:二層の楼閣
- 別名:通称「銀閣」と呼ばれますが、鹿苑寺の金閣と対比しての呼び名であり、銀箔を貼った形跡はありません。
- 下層:心空殿(しんくうでん)- 住宅風の造り。
- 上層:潮音閣(ちょうおんかく)- 禅宗様の仏間。観音像が安置されています。

2. 東求堂(とうぐどう)
- 意味:「東方の人、西方浄土を求める」の意。
- 構造:持仏堂(義政の仏間)として造られ、入母屋造り、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根。
- 内部:阿弥陀如来像と義政公の坐像を安置した仏間、書院(同仁斎)、西六畳などで構成。
- 同仁斎(どうじんさい):付書院、違い棚を備え、現存する草庵茶室の起源とされる部屋。後の書院造の初期形態を示す貴重な遺構です。
庭園とその他の要素
東山文化の特徴的な美意識が凝縮された庭園も必見です。
- 庭園様式:池泉回遊式庭園。
- 白砂の造形:
- 向月台(こうげつだい):観音殿の前に広がる、白砂を円錐形に盛り上げたもの。
- 銀沙灘(ぎんしゃだん):向月台とともに、白砂を段形に広げたもの。
- 参道:参道沿いの竹垣は、建仁寺垣を変形させた銀閣寺垣として知られています。
- 手水鉢:東求堂と本堂の間に、幾何学文様のがさ型手水鉢が置かれています。

東山山荘(東山殿)の主要な建物群
東山山荘は、観音殿が最後に完成するまでに、以下の建物が次々と竣工しました。
- 常御所(最初に上棟され義政が移った場所)
- 西指庵(さいしあん)
- 超然亭
- 会所
- 泉殿
- 浴室
- 持仏堂(東求堂)
- 西指庵の門
- 庭、船舎、竜背橋
- 観音殿(最後に完成)
まとめポイント:東山文化の源流
銀閣寺と東求堂の同仁斎は、後の日本の文化に大きな影響を与えた東山文化を代表するものです。この地で生まれた書院造の初期形態や、わび・さびに通じる美意識は、日本庭園、茶の湯、生け花、能といった諸芸術の発展の源流となりました。
| ✍️ 京都検定ワンポイント! |
| 金閣(鹿苑寺):足利義満(祖父)、北山文化 |
| 銀閣(慈照寺):足利義政(孫)、東山文化 |

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