京都が生んだ「煙草王」村井吉兵衛と、華麗なる長楽館の物語#1146
京都・円山公園に佇む豪奢な洋館「長楽館」。この京の迎賓館を築いたのは、明治時代に「煙草王」と呼ばれ時代の寵児となった実業家・村井吉兵衛でした。貧しい煙草商の家に生まれ、斬新な広告戦略で日本中に名を馳せた彼の波乱万丈な生涯と、今も東山の地に息づく華麗な建築美の物語を紐解きます。
- 明治時代に「煙草王」と呼ばれ、日本中にその名をとどろかせた実業家は誰ですか?
- 村井吉兵衛が日本で初めて発売した、アメリカンスタイルの両切りシガレットの商品名は何ですか?
- 明治37年(1904年)、日露戦争の戦費調達のために施行され、民間の煙草製造販売を終了させるきっかけとなった法律は何ですか?
- 円山公園に建つ村井吉兵衛の京都別邸(現:ホテル・カフェ)で、内部に豪華なロココ様式が取り入れられている建物の名前は何ですか?
- 「長楽館」という名称を命名した、完成直後に宿泊した初代内閣総理大臣は誰ですか?
☆回答は記事の最後にあります。
京都・東山の円山公園を散策していると、ひときわ目を引く重厚な洋館が現れます。現在はカフェやホテルとして親しまれている**「長楽館」**。この建物を築いたのは、明治時代に「煙草王」と呼ばれ、日本中にその名をとどろかせた実業家・**村井吉兵衛(むらい きちべえ)**です。
今回は、京都の貧しい煙草屋から身を起こし、時代の寵児となった村井吉兵衛の足跡を辿ります。
1. 煙草売りの少年が「世界の村井」になるまで
村井吉兵衛は、京都・建仁寺五条の小さな煙草商の家に生まれました。幼くして伯父の養子となり、家業の修行に励みますが、当時の煙草業界は大きな転換期にありました。
若き吉兵衛に火をつけたのは、東京で派手な宣伝を繰り広げていた岩谷松平(天狗煙草)の存在です。その営業手法に刺激を受けた吉兵衛は、明治24年(1891年)、**「村井兄弟商会」を設立。日本初となるアメリカンスタイルの両切りシガレット「サンライス」**を発売し、爆発的なヒットを記録します。
その後も「ヒーロー」や「バアジン」といったブランドを次々と展開。モダンなパッケージと斬新な広告戦略で、彼はまたたく間に「煙草王」の座へと登り詰めました。
2. 煙草から多角経営へ:時代の波を読んだ決断
絶頂期にあった明治37年(1904年)、大きな転機が訪れます。日露戦争の戦費調達を目的とした**「煙草専売法」**の施行です。これにより、民間の煙草製造販売は幕を閉じることになりました。
しかし、吉兵衛の真骨頂はここからでした。多額の補償金をもとに、銀行(村井銀行)や製糸業、石鹸製造など、次々と新しい事業へ進出。煙草王の看板を下ろしてもなお、日本の近代産業を牽引する実業家として君臨し続けたのです。
3. 京の迎賓館「長楽館」に込められた美学
事業で成した莫大な富を投じ、明治42年(1909年)、吉兵衛は京都別邸として**「長楽館」**を竣工させます。

- ロココ様式の贅: 建築家ジェームズ・ガーディナーの設計によるこの建物は、当時最新のロココ様式を取り入れた豪華絢爛な空間でした。
- 伊藤博文による命名: 完成直後に宿泊した初代内閣総理大臣・伊藤博文が、窓からの眺めに感銘を受け「長く楽しみを共にする」という意味を込めて「長楽館」と名付けたという逸話が残っています。
- 和洋折衷の極致: 外観はルネサンス、内部はロココ、さらにはステンドグラスや和室の茶室まで備え、まさに当時の最先端と伝統が融合した「京の迎賓館」と呼ぶにふさわしい場所でした。
4. まとめ:東山の空に消えない煙草王の夢
現在は京都市指定有形文化財となり、優雅なティータイムを楽しめる場所として愛されている長楽館。その豪華な内装や調度品の一つひとつに、かつて煙草一本から世界を相手に渡り歩いた村井吉兵衛の情熱と美学が息づいています。
円山公園を訪れた際は、この美しき洋館を眺めながら、明治という激動の時代を駆け抜けた一人の男の物語に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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- 村井吉兵衛(むらい きちべえ)
- サンライス(そのほか「ヒーロー」や「バアジン」も有名です)
- 煙草専売法
- 長楽館(ちょうらくかん)
- 伊藤博文


