🌿京都ゆかりの偉人たち:禅の歴史を動かした臨済宗の名僧5選と秘話#1100
京都の歴史と文化を形作った臨済宗の名僧たちをご紹介します。妙心寺開山の閑山慧玄、江戸幕府の黒衣の宰相・金地院崇伝、天龍寺創建に貢献した夢窓疎石など、禅の教えとともに政治や外交にも影響を与えた偉人たちの功績を、わかりやすく解説します。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
以下の設問に対し、適切な人名または寺院名でお答えください。
- 花園天皇に招かれ、自身の離宮を寺院として賜り、臨済宗における「妙心寺」の開山となった僧侶は誰ですか。
- 徳川家康の信任を得て、江戸幕府の外交顧問や寺社政策の立案執行にあたり、「黒衣の宰相」と呼ばれた南禅寺の住持は誰ですか。
- 後醍醐天皇の菩提を弔うため、足利尊氏・直義兄弟に進言し、後に天龍寺が創建されるきっかけを作り、さらに西芳寺の庭園を設計・築造した僧侶は誰ですか。
- 金地院崇伝が主導した幕府の仏教統制(紫衣事件)に反抗し、出羽国上山へ流罪となった大徳寺の住持は誰ですか。
- 京都の紫野に「大徳寺」を創建し、閑山慧玄に「閑山」の号と「慧玄」の諱を授けた僧侶は誰ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
京都の歴史は、禅宗、特に臨済宗の僧侶たち抜きには語れません。彼らは寺院の創建だけでなく、政治、外交、文化にも深く関わり、日本の歴史を動かしてきました。
京都検定の知識としても役立つ、臨済宗の歴史に名を残す名僧たちをご紹介します。
目次
1. 妙心寺の開山:閑山慧玄(かんざんえげん)
信濃国(現在の長野県)出身の閑山慧玄は、臨済宗における重要な人物です。
- 号と諱の継承 鎌倉の建長寺で得度し、南浦紹妙(なんぼしょうみょう)から「恵眼」の名を受けました。その後、京都で大徳寺の開山である**宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)**から「閑山」の号と、諱(いみな)である「慧玄」を授けられます。
- 妙心寺の創建 美濃(現在の岐阜県)に隠退していましたが、暦応5年(1342年)に花園天皇に招かれて上洛。花園法皇の離宮を禅寺として賜り、妙心寺の開山となりました。
- 国師号 没後、後奈良天皇から**「本有円成(ほんじゅうえんじん)」の国師号**を受けました。
2. 江戸幕府の「黒衣の宰相」:金地院崇伝(こんちいんすうでん)
南禅寺の住持を務めた金地院崇伝は、徳川家康の信任を得て江戸幕府の政策立案と執行にあたった僧侶です。
- 法号と出身 字(あざな)は「以心」(いしん)。幼い頃に南禅寺に入り、玄圃霊山(げんぼれいざん)に学びました。慶長10年(1605年)に南禅寺の住持となっています。
- 権勢の象徴 鷹峯(たかがみね)にあった金地院を移築し、南禅寺の塔頭(たっちゅう:子院)として整備しました。
- 仏教界の頂点 元和元年(1615年)に**「僧録司」**(そうろくし:禅宗の役職で全国の禅寺を統括)に任じられ、僧録司が南禅寺に移されたことで、崇伝は仏教界の頂点に立ちました。南禅寺に巨大な伽藍が築かれたのは、幕府や大名から財政援助を引き出した崇伝の政治手腕によるものです。
3. 大徳寺の開山:宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)
播磨国(現在の兵庫県)出身の宗峰妙超は、京都の紫野に大徳寺を創建したことで知られる臨済宗の僧です。
- 修行の旅路 書寫山(しょしゃざん)、鎌倉・京都の万寿寺で修行を積み、鎌倉建長寺の**南浦紹明(なんぽしょうみょう)**の法を継ぎました。
- 門下の育成 大徳寺を開いた後、閑山慧玄に号と諱を授けるなど、後進の指導にも大きな功績を残しました。
4. 幕府の禅僧統括者:春屋妙葩(しゅんおくみょうは)
甲斐国(現在の山梨県)出身の春屋妙葩は、室町幕府において仏教界の最高位に就いた人物です。
- 師と歴任寺院夢窓疎石(むそうそせき)の有力な門弟の一人であり、後に天龍寺・南禅寺の住持を歴任しました。
- 天下僧録司 丹後の雲門寺に住んでいたところ、足利義満に招かれて上京し、全国の禅寺・禅僧を統括する**「天下僧録司」**に任ぜられ、幕府の宗教政策を担いました。
5. 幽閉された禅僧:沢庵宗彭(たくあんそうほう)
臨済宗の僧で、大徳寺の住持を務めたのが沢庵宗彭(たくあんそうほう)です。
- 金地院崇伝との対立 諱(いみな)は宗彭(そうほう)。金地院崇伝が主導した江戸幕府の**「紫衣(しえ)事件」における仏教統制に強く反抗し、出羽国の上山(かみのやま)に流罪**となりました。
- 文化人としての側面 流罪後、許されて江戸に上り、徳川家光の信頼を得ました。書の達人であり、茶道にも通じた著名な文化人でもあります。
【番外編】天龍寺・西芳寺の開山と作庭家:夢窓疎石(むそうそせき)
伊勢国(現在の三重県)出身の夢窓疎石も、臨済宗の歴史上、特に重要な役割を果たしました。
- 経歴と法統 奈良の東大寺で受戒した後、禅に転じ、鎌倉で高峰顕日(こうほうけんにち)の法を継ぎました。建長寺の一山一寧にも師事しています。
- 後醍醐天皇と足利兄弟 諸国を歴任後、上洛して後醍醐天皇に説法し、南禅寺の九世住持となりました。 後醍醐天皇崩御(1339年)の際は、足利尊氏・直義兄弟に、禅林(禅寺)で菩提を弔うべきだと進言し、天龍寺創建のきっかけを作りました。この功績により、**「夢窓国師」**の号を与えられました。
- 造園の天才 造園設計にも優れ、暦応2年(1339年)に西方寺を西芳寺(苔寺)と改め、その庭園を設計・築造したことでも知られています。

【今日のまとめ】
今回ご紹介した僧侶たちは、それぞれが京都の禅寺を拠点に、時の権力者と深く関わりながら、宗教界だけでなく、政治・文化の発展に寄与しました。
- 妙心寺を開いた閑山慧玄
- 江戸幕府の政策を担った金地院崇伝
- 大徳寺を開いた宗峰妙超
- 室町幕府の宗教政策を担った春屋妙葩
- 崇伝に抵抗し流罪となった沢庵宗彭
- 天龍寺・西芳寺の開山・作庭家夢窓疎石
彼らの功績を知ることは、京都の禅文化と歴史をより深く理解することに繋がります。

あわせて読みたい記事
おすすめの書籍
リンク

今回のブログ記事前後の関連記事
前述の練習問題の解答☆
| 設問番号 | 解答 |
| 1 | 閑山慧玄(かんざんえげん) |
| 2 | 金地院崇伝(こんちいんすうでん) |
| 3 | 夢窓疎石(むそうそせき) |
| 4 | 沢庵宗彭(たくあんそうほう) |
| 5 | 宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう) |


