雅の都で花開いた才能:京都ゆかりの近代日本画家に迫る#1078
京都検定の受験者も、これから京都の美に触れたい人も必見!近代京都画壇の礎を築いた幸野楳嶺から、竹内栖鳳、上村松園など、雅の都で才能を開花させた偉大な日本画家たちをご紹介します。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 幸野楳嶺が設立を建議し、自身も教師を務めた、現在の京都市立芸術大学の前身にあたる学校の名称を答えなさい。
- 「西の栖鳳、東の大観」と並び称され、幸野楳嶺門下の四天王の一人であった近代京都画壇を代表する日本画家で、1937年に第1回文化勲章を受章した人物は誰ですか。
- 上村松園が1948年(昭和23年)に受章した、女性として初めての栄誉となった勲章は何ですか。
- 土田麦僊が、竹内栖鳳に学び、村上華岳らと組織し、新しい日本画の創造を目指した美術家団体(協会)の名称を答えなさい。
- 今尾景年と堂本印象の共通する代表的な作品の主題で、南禅寺法堂や東福寺法堂の天井に描かれているモチーフは何ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
彼らが残した功績と代表作を知り、京都の奥深い美意識を探求しましょう。
目次
🎨近代京都画壇の基礎を築いた偉人たち
🌟幸野楳嶺(こうの ばいれい)
- 【教育者としての功績】 京都府画学校(現:京都市立芸術大学)の設立を建議し、教師も務め、後進の育成に尽力しました。近代京都画壇の基礎を築いた重要人物です。
- 【主な肩書・活動】帝室技芸員(皇室のための美術制作に携わる最高の栄誉)に選ばれました。また、『美術叢書(そうしょ)』の刊行にも協力しています。
- 【代表作】 「群魚図」
🖼️今尾景年(いまお けいねん)
- 【経歴】 京都出身の日本画家で、帝国美術院会員に選ばれています。
- 【代表的な作品】 南禅寺法堂に描かれた壮大な「雲龍図」。
🌸京都画壇を彩る巨匠たち
🗻竹内栖鳳(たけうち せいほう)
- 【師事と地位】 18歳で幸野楳嶺に師事し、楳嶺門下の四天王の一人に数えられました。
- 【評価】 「西の栖鳳、東の大観」と並び称され、近代京都画壇を代表する筆頭作家です。
- 【主な活動】文展(文部省美術展覧会)の開設時から審査員を務めました。また、京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)の教授や帝国美術院会員を歴任し、私塾「竹杖会(ちくじょうかい)」を主宰しました。
- 【代表作と栄誉】 代表作は猫を描いた「斑猫(はんびょう)」。1937年に第1回文化勲章を受章しています。
💄上村松園(うえむら しょうえん)
- 【師事】 鈴木松年(しょうねん)、幸野楳嶺、竹内栖鳳といった京都画壇の大家に師事しました。
- 【初期の活躍】 第3回内国勧業博覧会に「四季美人図」を出品し、一等の褒状(ほうじょう)を得るなど、早くから才能を発揮しました。
- 【評価と栄誉】 芸術院会員、帝室技芸員を歴任しました。1948年(昭和23年)には、女性として初めてとなる文化勲章を受章しました。
🎨新しき表現を求めた画家たち
🖌️土田麦僊(つちだ ばくせん)
- 【経歴】 新潟・佐渡生まれ。一時期は智積院で僧の修行をしましたが、後に画家を志して出奔しました。
- 【学びと結社】 鈴木松年や竹内栖鳳に学びました。後に村上華岳(かがく)らと国画創作協会を組織し、新しい日本画の創造を目指しました。
- 【代表作】 「大原女(おはらめ)」
🐉堂本印象(どうもと いんしょう)
- 【経歴】 京都出身の日本画家で、京都市立絵画専門学校を卒業しました。
- 【代表的な作品】 東福寺法堂の天井に描かれた「雲龍図」。
- 【栄誉】文化勲章を受章しています。
✍️編集後記:京都の美意識が育んだ才能の系譜
幸野楳嶺が蒔いた教育の種が、竹内栖鳳や上村松園、土田麦僊らへと受け継がれ、近代日本画の新たな花を咲かせたのが京都画壇の魅力です。彼らの作品に触れることで、古都の奥深い美意識を感じられるでしょう。

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前述の練習問題の解答☆
- 京都府画学校(きょうとふががっこう)
- 竹内栖鳳(たけうち せいほう)
- 文化勲章(ぶんかくんしょう)
- 国画創作協会(こくがそうさくきょうかい)
- 雲龍図(うんりゅうず)

