🎨 華麗なる筆致!京都の美を彩った「狩野派」の系譜をたどる#1074
これから京都の歴史や文化を深く知りたい方、そして京都検定の受験を目指す方へ。京都画壇の中心で、時の権力者たちに愛され、壮麗な美の世界を築き上げた狩野派の主要な画家たちをご紹介します。その華麗なる筆致と作品は、今もなお京都の寺院や城に息づいています。
この記事内容から抜粋した練習問題10問☆
- 狩野派の初代で、室町幕府の足利義政に重用され、狩野派の基礎を築いたとされる画家は誰ですか。
- 初代狩野正信の作品で、大徳寺の塔頭・真珠庵に残る水墨画の傑作(重要文化財)のタイトルは何ですか。
- 狩野派の二代目で、漢画に大和絵の感覚を融合させ、後の狩野派の基本様式を確立したとされる画家は誰ですか。
- 狩野元信が設計に関わったとされる、妙心寺にある枯山水庭園を持つ塔頭は何ですか。
- 織田信長や豊臣秀吉といった天下人に重用され、安土城や聚楽第などの障壁画を制作した、桃山時代を代表する画家は誰ですか。
- 狩野永徳の代表作で、大徳寺の塔頭・聚光院の方丈の襖絵(国宝)のタイトルは何ですか。
- 二代将軍・徳川秀忠に重用され、江戸幕府の御用絵師として活躍し、「江戸狩野」の礎を築いたとされる画家は誰ですか。
- 狩野探幽の作品で、妙心寺の法堂の天井に描かれている、巨大な水墨画のタイトルは何ですか。
- 狩野派の技法を学び、狩野姓を名乗ることを許された異色の画家で、西本願寺の障壁画のほとんどを手掛けた人物は誰ですか。
- 狩野了慶が、西本願寺での制作の後に御抱え絵師となった、九州の藩の名称は何ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
これから京都の歴史や文化を深く知りたい方、そして京都検定の受験を目指す方へ。
京都画壇の中心で、時の権力者たちに愛され、壮麗な美の世界を築き上げた狩野派の主要な画家たちをご紹介します。その作品は、今もなお京都の寺院や城に息づいています。
目次
🖌️ 初代:狩野正信(かのう まさのぶ)
- 活動時期: 永享6年(1434年)~享禄3年(1530年)
- 特徴:
- 狩野派の祖として知られる初代。
- 室町幕府8代将軍・足利義政に重用され、武家社会に支持基盤を確立しました。
- 東山殿(銀閣寺)の持仏堂に描いたとされる**「十僧図」**は、初期の代表作です。
- 大徳寺の塔頭・真珠庵に、水墨画の傑作**「竹石白鶴図屏風」**(重要文化財)が残されています。

👨🎨 狩野派の礎を築いた二代目:狩野元信(かのう もとのぶ)
- 活動時期: 文明8年(1476年)~永禄2年(1559年)
- 特徴:
- 初代・正信の長男で、狩野派の二代目です。
- 画風の確立者として知られ、漢画(中国風の水墨画)に大和絵(日本の伝統的な絵画)の感覚を融合させ、後の狩野派の基本様式を作り上げました。
- 足利義政、義澄、義稙、義晴の4代に仕え、狩野派の地位を不動のものにしました。
- 【代表的な京都の作品】
- 大徳寺大仙院の**「四季花鳥図」**
- 妙心寺霊雲院の障壁画
- 鞍馬寺縁起絵巻の制作にも関わりました。
- また、妙心寺の退蔵院の方丈西側庭園の設計も手がけ、庭園にも才能を発揮しました。
🏯 桃山時代の豪華絢爛:狩野永徳(かのう えいとく)
- 活動時期: 天文12年(1543年)~天正18年(1590年)
- 特徴:
- 二代目・元信の孫にあたります。(元信の三男・松栄の子)
- 祖父・元信に学び、その技量は祖父を超えたと評されます。
- 織田信長、次いで豊臣秀吉という天下人たちに重用され、彼らの居城や邸宅の障壁画を多く手掛けました。
- 安土城の天守や殿舎の障壁画を制作し、名声を確立しました。
- 近衛家の屋敷の座敷図によっても名声を確立しました。
- 【代表的な京都の作品】
- 大徳寺塔頭、聚光院(じゅこういん)の方丈の襖絵**「琴棋書画図」**(国宝)。永徳の初期の代表作です。
- 大胆な構図と力強い筆致で、桃山時代の豪壮華麗な美を象徴する存在です。
🐉 江戸狩野の祖:狩野探幽(かのう たんゆう)
- 活動時期: 慶長7年(1602年)~延宝2年(1674年)
- 特徴:
- 狩野永徳の孫にあたります。(永徳の弟子の狩野孝信の子)
- 京都出身ですが、二代将軍・徳川秀忠に重用され、江戸幕府の御用絵師として活躍しました。(江戸の鍛冶橋に屋敷を拝領)
- 画風は永徳の力強さを引き継ぎつつ、より洗練された落ち着いた表現へと変化し、「京狩野」から「江戸狩野」の礎を築きました。
- 【代表的な京都の作品】
- 妙心寺法堂の天井画**「雲竜図」**
- 南禅寺小方丈の**「群虎図」**
- 二条城二の丸御殿にも、彼の指揮による多くの障壁画が残されています。
🦢 狩野派を許された実力者:渡辺了慶(わたなべ りょうけい)
- 別名: 狩野了慶(かのう りょうけい)
- 特徴:
- 狩野派の技法を学び、狩野光信(永徳の長男)に師事しました。
- その実力を認められ、狩野姓を名乗ることを許された異色の画家です。
- 【代表的な京都の作品】
- 西本願寺の殿舎に多くの障壁画を描き、中でも**「松鶴図」**(しょうかくず)などが知られています。西本願寺の障壁画のほとんどを手掛けたとされます。
- 高台寺の障壁画も描きました。
- 西本願寺での制作を終えた後、肥前平戸藩の御抱え絵師となりました。
🐲 独自の境地を切り開いた天才:海北友松(かいほく ゆうしょう)
- 活動時期: 天文2年(1533年)~元和5年(1615年)
- 特徴:
- 建仁寺を中心に活躍し、その力強く簡潔な画風で、桃山時代に一線を画した画家です。
- もとは近江の戦国大名、浅井長政の家来の子として生まれました。
- 狩野元信や狩野永徳といった狩野派の巨匠に絵を学びましたが、その後の作風は水墨画の簡潔さと装飾性を融合させた独自の境地に至りました。
- 【代表的な京都の作品】
- 建仁寺の方丈を飾る**「雲竜図」**
- 同寺の**「花鳥図」や「山水図」**などの障壁画は、大胆な墨遣いと、余白を活かした空間表現が特徴的です。
まとめ:京都の寺社仏閣を訪れる際は
今回ご紹介した狩野派の画家たちの作品は、京都の数多くの寺社仏閣や城郭で見ることができます。彼らが描いた襖絵や天井画は、当時の権力者の威厳を示すとともに、日本の絵画史における金字塔です。
京都を訪れる際は、ぜひ「この絵は誰が描いたのだろう?」という視点も持って鑑賞してみてください。

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前述の練習問題の解答☆
- 狩野正信(かのう まさのぶ)
- 竹石白鶴図屏風(ちくせきはくかくずびょうぶ)
- 狩野元信(かのう もとのぶ)
- 退蔵院(たいぞういん)
- 狩野永徳(かのう えいとく)
- 琴棋書画図(きんきしょがず)
- 狩野探幽(かのう たんゆう)
- 雲竜図(うんりゅうず)
- 渡辺了慶(わたなべ りょうけい)
- 肥前平戸藩(ひぜんひらどはん)


