🏯都の骨格を知る!平安京を形作る主要な建物の意味と役割#1064
京都検定の勉強を始めたいけれど、用語が多くてどこから手をつけていいか分からない…。この記事では、平安京という都の骨格を形作った「大内裏」「朝堂院」「宜陽殿」などの主要な建物の意味と役割を、これから目指す方にもわかりやすく解説します。都の中心がどんな機能を持っていたのか、一目で理解し、知識の土台を築きましょう!
第1問 平安京で、天皇の住まいである内裏(だいり)と、政務を行う官庁街(かんちょうがい)を合わせた区画全体を何と呼びますか。
第2問 大内裏の正庁(せいちょう)にあたり、国家的な儀式や政務が行われた最も重要な施設で、平安神宮が復元造営のモデルとした院を何と呼びますか。
第3問 平安京の内裏にあり、紫宸殿(ししんでん)の東に位置し、天皇の身辺にある大切な琴や笛が「一の棚」に納められていた建物の名前を答えなさい。
第4問 大嘗会(だいじょうえ)や節会(せちえ)、饗宴(きょうえん)など、重要な祭祀や宴会が行われた、朝堂院の西隣に位置した施設名を答えなさい。
第5問 奈良・平安時代において、単なる庭園としてだけでなく、皇室に納めるための蔬菜(そさい)や果樹などを栽培・採取するために利用されていた土地の名称を答えなさい。
☆回答は記事の最後にあります。
🏛️大内裏(だいだいり):政治の中心地全体
平安京で天皇の住まいである内裏(だいり) と、政治を行う官庁街(かんちょうがい) を合わせた、都の最も重要な区画全体を指します。現在の京都御苑(きょうとぎょえん)のあたり、平安京の北辺中央に位置していました。
👑内裏(だいり):天皇の私的な空間
大内裏の内部 にあり、主に天皇の日常の生活の場 となった区画です。 儀式を行う公的な場である朝堂院などとは区別され、天皇の私的な住まいや后(きさき)たちの殿舎がありました。
⛩️宜陽殿(ぎようでん):内裏を彩る重要な建物
内裏の主要な建物の一つ で、紫宸殿(ししんでん) の東側にありました。
- 配置: 北の綾綺殿(りょうきでん) と南の春興殿(しゅんこうでん) に挟まれ、西の校書殿(きょうしょでん) と対になる位置です。
- 役割: 天皇の身近にある大切な琴や笛などの楽器 が、この宜陽殿の**「一の棚」** に納められていたことが、『枕草子(まくらのそうし)』にも記されています。
🏛️朝堂院(ちょうどういん)/八省院(はっしょういん):国家儀式の場
大内裏の正庁(せいちょう)、つまり公的な中心地 で、国家的な儀式や政務 を行う最も重要な施設でした。
- 構造: 正門は応天門(おうてんもん)、その奥に位置する正殿は大極殿(だいごくでん) と呼ばれます。
- 関連: 現在の平安神宮(へいあんじんぐう) は、この朝堂院を約5分の8のスケール で復元して造営されたものです。神宮の正面の二層の楼門 が応天門 を、拝殿(はいでん) が大極殿 をそれぞれモデルにしています。
🎉豊楽院(ぶらくいん):饗宴と祭祀の広場
朝堂院の西隣 に位置した、重要な祭祀や饗宴(きょうえん) のための区画です。
- 位置: 平安京の正門である朱雀門(すざくもん) をくぐり、朝堂院の応天門に突き当たった後、さらに西へ進んだ場所 にありました。
- 規模:豊楽門(ぶらくもん) をはじめとする九つの門 を設けた築地塀(ついじべい)に囲まれた広大な施設でした。
- 役割:
- 大嘗会(だいじょうえ):天皇が即位した後、最初に行う重要な儀式。
- 節会(せちえ):朝廷の年中行事として行われた宴会や儀式。
- 饗宴:賓客をもてなす宴会。
🌳園池(えんち):皇室のための庭園と農地
もともとは庭園(ていえん)と池 を組み合わせた景観を指します。
- 奈良・平安時代の役割: この時代には、単なる鑑賞の場としてだけでなく、蔬菜(そさい/野菜)や果樹 などを栽培・採取 し、皇室に納めるための土地 という実用的な役割 も担っていました。

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第1問 大内裏(だいだいり)
第2問 朝堂院(ちょうどういん)または 八省院(はっしょういん)
第3問 宜陽殿(ぎようでん)
第4問 豊楽院(ぶらくいん)
第5問 園池(えんち)


