🚃 【京の街に汽笛と火花が響いた!】京都の鉄道黎明期から現代への歴史探訪#1050
現在の京都市内の交通網のルーツはどこにあるのでしょうか?明治時代、京都の街並みを初めて電気で走った「京都電気鉄道」の誕生と、主要な鉄道路線が京都と他都市を結んでいった歴史を徹底解説。古都の近代化を支えた鉄道の知られざるドラマを紐解きます。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 明治28年(1895年)に日本初の営業用電気鉄道として開通した、京都電気鉄道の最初の路線名は何ですか。
- 京都電気鉄道の伏見線は、明治28年の開通当初、東洞院塩小路から伏見の油掛町までの何kmの距離でしたか。
- 京都電気鉄道の発足(明治27年)に関わった人物のうち、社長を務めた人物の氏名を答えてください。
- 関西本線が奈良駅まで開通した年(西暦)を答えてください。
- 京都電気鉄道は、後に開業した京都市営電気鉄道との競合状態を経て、最終的に京都市に事業を譲渡して解散しましたが、その京都市営電気鉄道が開業した年(西暦)を答えてください。
☆回答は記事の最後にあります。
京都の街並みを縫うように走る電車や、古都の玄関口である京都駅に発着する列車たち。これら京都の鉄道がどのように始まり、発展してきたのか、その知られざる歴史を紐解きます。
目次
【1】京都の骨格を形作った!主要な鉄道路線の開通
京都と他都市を結び、地域の発展に貢献した主要な路線の歴史をご紹介します。その開通時期は、日本の近代化の歩みと重なっています。
- 関西本線(奈良方面)
- **明治23年(1890年)**に開通し、奈良駅が誕生しました。古都と古都を結ぶ重要な路線です。
- 山陰本線(園部・亀岡方面)
- **明治32年(1899年)**に園部まで開通し、亀岡駅が開業しました。古くからの街道筋と並行し、丹波方面へのアクセスを確立しました。
- 東海道本線(京都―大津間)
- 大正10年(1921年)に京都―大津間が完成し、現在の大津駅が開業しました。東海道の陸上交通の要衝としての地位を不動のものとしました。

【2】日本初の電気鉄道!京都電気鉄道の挑戦
京都の近代化を象徴する出来事の一つが、電気で走る「電車」の登場です。京都電気鉄道は、日本における電気鉄道のパイオニアでした。
💡 創業と日本初の路線
- 発足の背景:明治27年(1894年)、浜岡光哲や大沢善助らによって発足しました。社長は高木文平でした。
- 日本初の営業路線:明治28年(1895年)2月に、東洞院塩小路~伏見・油掛町の6.7㎞で伏見線が開通しました。これが、日本初の営業用電気鉄道です。
⚡️ 電力の確保
- 初期の動力源は、日本初の水力発電所である蹴上発電所の電力を使用しました。
- ただし、電力供給が不足した場合に備え、京都駅の南側には電車専用の火力発電装置も設置されていました。
🗺️ 路線網の拡大と終焉
- 木屋町線: 明治28年に開通し、堀河中立売線と連結しました。
- 出町線: **明治34年(1901年)**に開通し、伏見線と市内線が連結し、京都の南北を繋ぐネットワークが完成しました。
- 技術的な工夫:高倉通りから高架橋を使い、当時の東海道線を越えて竹田街道へ抜けるなど、街中のルート確保に苦心しました。
- 京都市との競合と事業譲渡:明治45年(1912年)に京都市営電気鉄道が開業すると、競合状態になりました。最終的に京都市に事業を譲渡して解散しました。
- 伏見線のその後: 伏見線は大正3年(1914年)に中書島まで延伸しましたが、昭和45年に廃線となり、その歴史に幕を閉じました。
この歴史が、今の京都市内の交通網や街並みに繋がっています。古都の魅力を支える「鉄道」の視点から、京都を再発見してみてはいかがでしょうか。

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前述の練習問題の解答☆
- 伏見線
- 6.7㎞
- 高木文平
- 1890年(明治23年)
- 1912年(明治45年)


