🏯高台寺とその塔頭:受験対策メモ#984
京都検定合格を目指す受験生必見!豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)ゆかりの寺院、高台寺とその塔頭・円徳院の重要ポイントを徹底解説。創建の歴史から宗派、庭園の特徴まで、効率よく学べる備忘録としてまとめました。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
高台寺とその塔頭に関する以下の問いに解答してください。
- 設問
高台寺を建立した豊臣秀吉の正室は誰ですか。(通称、法号のいずれか) - 設問
高台寺の現在の敷地は、もともと東山の麓にあったどの寺院の跡地にあたりますか。 - 設問
高台寺の塔頭である円徳院の庭園(北庭)は、桃山時代を代表する様式で、もとは伏見城にあったどの御殿の前庭を移築したものと伝えられていますか。 - 設問
高台寺の宗派は何ですか。 - 設問
円徳院にある、石塔の笠石を加工して作られ、その形が菱垣船(桧垣船)に似ていることから名付けられた手水鉢の名称は何ですか。
☆回答は記事の最後にあります。
高台寺と、その塔頭である円徳院に関する重要なポイントをまとめました。特に北政所(ねね)ゆかりの寺として、歴史的背景や建築様式、庭園の特徴は要チェックです。
🏛️高台寺(こうだいじ)の基本情報と歴史
- 宗派・開山:
- 宗派は曹洞宗(そうとうしゅう)です。
- 開山は三江紹益(さんこうしょうえき)禅師(またはきゅうしん禅師)。
- 創建の背景:
- 豊臣秀吉の正室である北政所(きたのまんどころ、ねね)が、亡き秀吉の冥福を祈り、また実母である朝日局の菩提を弔うために建立しました。
- 創建時の寺号は、ねねの母の法号(朝日局の法号)にちなんだ名前とされています。
- 創建当初の所在地は寺町にありました。
- 寺号の変遷:
- 前身は**康徳寺(こうとくじ)**です。
- 秀吉の死後、北政所は高台院(こうだいいん)の号を賜り、寺名もこれにちなんで高台寺となりました。
- 伽藍の移転と寺領:
- 現在の高台寺の敷地は、もともと東山の麓にあった**岩栖院(がんせいいん)**の跡地にあたります。
- 岩栖院は、その後、京極の北に移転しました。
- 秀吉からは百石の寺領が与えられ、後にさらに四百石が加増されました。
- 豆知識:
- 高台寺ゆかりであることから、京都には**高徳寺町(こうとくじちょう)**という町名が残されています。

🌳円徳院(えんとくいん):高台寺の塔頭
- 位置づけ:
- 高台寺の塔頭(たっちゅう:本寺の敷地内または近くにある小寺院)です。
- 北政所の居住地:
- 大阪から京都に移った北政所(ねね)は、高台寺の完成前などに、はじめはこの円徳院に住んでいました。
- 庭園(北庭)の特徴:
- 円徳院の北庭は、**枯山水(かれさんすい)**の様式です。
- 桃山時代を代表する庭園として知られ、自然石を巧みに配しています。
- この庭園は、伏見城にあった北政所化粧御殿の前庭を移築したものと伝えられています。
- 桧垣の手水鉢(ひがきの手水鉢):
- 円徳院には桧垣の手水鉢があります。
- これは、石塔の笠石(かさいし)を横に立て、両袖を残して切り取り、底面を掘りぬいて手水鉢にした独特の形をしています。
- その形が桧垣船(ひがきぶね、または菱垣船)に似ていることからこの名がついています。

あわせて読みたい記事
おすすめの書籍
リンク

今回のブログ記事前後の関連記事
前述の練習問題の解答☆
- 解答
北政所(きたのまんどころ)または ねね(高台院) - 解答
岩栖院(がんせいいん) - 解答
北政所化粧御殿(きたのまんどころけしょうごてん) - 解答
曹洞宗(そうとうしゅう) - 解答
桧垣の手水鉢(ひがきの手水鉢)


