第162回 コロナ禍と両親の介護:父の願いと母が遺した「大量のマスク」の記憶 #1223
2020年から始まった新型コロナウイルスの流行。それは僕にとって、両親の介護へと大きく舵を切った時期でもありました。神経質だった父が恐れていたもの、そして認知症が進む母が懸命に守ろうとしたもの。今振り返る、感染症に翻弄されながらも家族で過ごした大切な日々の記録です。
コロナ禍が僕に与えてくれた「介護」への時間
感染症はないに越したことはありませんが、人が社会生活を送る以上、完全に避けることは難しいものです。僕にとって2020年からのコロナ禍は、奇しくもそれまでのサラリーマン生活に区切りをつけ、両親の介護に専念するきっかけとなった時期でした。
世の中が停滞したことで、結果的に僕は両親のために動く時間を確保することができました。今思えば、あのタイミングだったからこそ、親と向き合う覚悟が決まったのかもしれません。
「コロナでは死にたくない」と願った父の最期
昨年冬に亡くなった父は、口癖のように「わしはコロナで死にたくない」と言っていました。父の親、つまり僕の祖父がノロウイルスが原因で他界していたこともあり、父にとって感染症は人一倍恐ろしい天敵だったようです。
情報源がテレビのニュースやワイドショーだった父は、「三密」や「東京の感染者数」といった情報にひどく敏感になっていました。東京に住む僕のことを心配しつつも、自身は感染を恐れるあまり外出を控え、その結果として足腰が弱ってしまうという側面もありました。
そんな父でしたが、サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)への転居直後、怪我で入院した際に検査で「コロナ陽性」が判明したことがありました。しかし、幸いなことに無症状のまま回復。最終的な死因は癌による急性腎不全でしたが、あんなに恐れていたコロナに屈することなく人生を全うできたことは、父にとって一つの救いだったのかもしれません。
認知症の母と、押し入れから溢れた「安心の証」
一方、84歳になる母は今も元気に過ごしていますが、2020年頃はちょうど認知症の症状が出始めた時期でした。父と一緒にテレビを見ていた母の心に強く刻まれたのは「マスク不足」という不安だったようです。
後日、両親がサ高住へ引っ越すために実家の片付けをしていた時のことです。押し入れの奥から、箱入りのマスクが文字通り「大量」に出てきたのです。店頭にマスクが戻り始めた頃、母は見かけるたびに「備えなければ」と買い溜めていたのでしょう。
母にとって、あの山のようなマスクは家族を守るための安心の象徴だったのかもしれません。現在も母の中では「感染対策のためにマスクは付けるべきもの」という意識がしっかりと根付いています。
つらくも温かい、コロナ禍の家族の風景
振り返ってみれば、コロナ禍という特殊な状況下で介護が始まったことで、得られたものもありました。母がまだ料理をできていた時期に、今ではもう食べることのできない「母の手料理」を囲んで夕食を共にした時間は、僕にとってかけがえのない宝物です。
感染症に怯え、振り回された数年間ではありましたが、あの時間があったからこそ両親の最晩年に深く関わることができたのだと思いました。激動の時代の中に、僕たち家族にしかわからない確かな絆があったのでした。
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