第149回 心配性は「備え」の才能。介護と人生を支える「最悪想定」の力#1210

「もしこうなったらどうしよう」と不安に駆られることはありませんか?実は、徹底的に心配することは、最悪の事態を回避するための強力な武器になります。10代の頃から学業や仕事、そして現在進行形の介護において「最悪を想定し、備える」ことで困難を乗り越えてきた僕の経験と、心配事との向き合い方について綴ります。

「最悪の事態」を想像することが、僕の原動力だった

僕は10代の頃から、いわゆる「ネガティブ思考」な側面を持っていました。常に最悪のシナリオを想定してしまう性分なのですが、実はこれが、学業や仕事において大きな支えとなってきたのです。

中学生の頃の定期テストを思い返すと、いつも「このままでは20点や30点しか取れないかもしれない」という強い不安に突き動かされていました。その不安を打ち消すために、自然と机に向かう時間が増え、記憶に時間を割くことができたのです。高校受験や大学受験も同様でした。僕にとって「心配すること」は、努力を継続するためのガソリンのような役割を果たしていました。

仕事で見出した「準備」という名の防波堤

社会に出てからも、この性質は形を変えて役に立ちました。営業や交渉の場において、僕は常に「この案件は上手くいかないのではないか」「相手から厳しい指摘を受けるのではないか」と考えます。

しかし、ただ震えて待つわけではありません。最悪の事態を想定するからこそ、そうなった時の対処法を練り、言葉を選び、必要な資料をあらかじめ揃えておくようになりました。徹底的に心配して準備を重ねた結果、不思議なことに、恐れていたトラブルのほとんどは現実には起こりませんでした。

心配したことほど、現実には起こらないという事実

これまでの人生を振り返って確信していることがあります。それは、「自分ではどうしようもない不可抗力」を除けば、心配し抜いた事柄のほとんどは回避できるということです。

なぜなら、心配するということは、それだけ事前に手を打っているということだからです。また、最悪の状況を回避したいという強い「思い」や熱量は、不思議と相手にも伝わるものだと感じてきました。20代、30代、40代と歳を重ねるごとに、この「心配と準備」のサイクルは僕の確固たるライフハックとなっていきました。

介護という予測不能な日々で見えた光

この考え方は、現在進行形である「両親の介護」という大きな課題においても、僕を支え続けてくれました。この6年間、数えきれないほどの不安が僕を襲いました。

  • 介護保険の申請に必要な医師の意見書が、期限に間に合わないのではないか
  • 京都から離れた場所で暮らす両親が、二人きりで生活を維持できるのか
  • 自分が選んだサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)への転居を拒否されるのではないか
  • 認知症が進む母が、新しい環境に馴染めず苦しむのではないか

一つひとつの壁にぶつかるたびに、僕は正面から心配し、対策を考え、奔走してきました。その結果、直面した問題の多くは、それなりにクリアすることができたのです。

これからも「心配性」な僕のままで向き合っていく

もちろん、老いや別れのように、抗うことのできない事実は存在します。母の認知機能は緩やかに低下していますし、父は天寿を全うして旅立ちました。それは、どれだけ心配しても変えられない、受け入れるべき現実です。

しかし、それ以外の「備え」ができることに対しては、僕はこれからも性分として、とことん心配し続けていくのだと思います。最悪を想定し、準備を怠らず、一つひとつの懸念事項に正面から向き合いながら母の介護を支えていきたい、そう強く思ったのでした。

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京都市出身、現在は東京都江東区に住まい、妻と一緒に小学生&保育園の二人の子育て中。両親の介護で京都との二拠点生活です。
「野菜作りを楽しむ」をコンセプトにした家庭菜園や農体験の運営を仕事として10年やってきました。今は独立して様々な情報発信などのお仕事と、不動産の管理などをしています。

Posted by ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳