第140回 二人の父との別れを経験して|義父の急逝と実父の老衰に向き合った激動の2025年#1201
2025年、僕は二人の大切な「父」を亡くしました。7月に76歳で急逝した東京の義父、そして12月に91歳で大往生を遂げた京都の実父。対照的な最期を迎えた二人の背中を見送りながら、家族の絆や命の尊さ、そして残された僕たちにできることについて深く考えさせられた激動の1年を振り返ります。
突然訪れた「東京のお父さん」との別れ
2025年は、僕にとって忘れられない年になりました。結果として、二人の父を見送ることになったからです。 まず7月、東京の義父が76歳という若さで旅立ちました。春にガンが見つかったときにはすでに手の施しようがない状態で、まさに光陰の如く、あっという間の出来事でした。
義父は自営業で町工場を長年切り盛りしてきた、生粋の江戸っ子です。病院や検査が大嫌いで、2023年頃から「背中が痛い」とこぼしてはいたものの、整形外科に通うばかりでした。秋には脳梗塞で入院し、2025年春には神経系の手術も受けましたが、その影でガンが静かに身体を蝕んでいたことには、誰も気づくことができなかったのです。
「80歳まで現役」を支えた家族の時間
義母もまた、検査を積極的に勧めるタイプではありませんでしたが、余命宣告を受けてからは、覚悟を決めたように付きっ切りで看病をしていました。 東京の家族で運転ができるのは僕一人だったため、車椅子が積める車両を手配し、義父を病院へ送り届ける日々が続きました。
「工場で80歳までは仕事を続けようと思っているんだ」 車中で聞いた、あの威勢のいい言葉が今も耳に残っています。仕事への情熱を失わなかった義父にとって、あまりに早すぎるお迎えだったのかもしれません。

対照的な二人の最期と「逆転」した状況
一方で、京都に住む僕の実父は当時91歳。小さなガンは見つかっていましたが、年齢相応の衰え、いわゆる老衰に近い形でゆっくりと弱っていきました。 しかし、若く体力もあったはずの義父の病状は、実父の容態を追い越すような速さで悪化していきました。
7月19日。京都の父も体調を崩しがちだった夏の日、義父は息を引き取りました。30歳で関西から上京し、右も左もわからなかった僕を温かく迎え入れてくれた「東京のお父さん」。僕の子どもたちの送り迎えも喜んで引き受けてくれた、頼もしい祖父でもありました。
悲しみを乗り越え、残された家族を支える
突然の別れに義母は深い悲しみに暮れていましたが、立ち止まってばかりはいられません。僕は自分自身の経験や知識を活かし、法要の準備や複雑な相続手続きなど、義母と協力しながら一つひとつ進めていきました。
ようやく手続きがひと段落し、秋の気配が漂い始めた頃、義母から思いがけない申し出を受けることになります。二人の父が駆け抜けた人生の重みを感じつつ、僕は家族の未来について、改めて背筋が伸びる思いがしたのでした。

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