第119回 【遠隔介護の終止符】父の容態激変の知らせを受けて京都へ。最期の時間を前に僕が感じたこと#1180
2025年11月、東京で仕事中に受けた一本の電話。それは京都の施設で暮らす父の容態が急速に悪化したという知らせでした。約5年にわたる遠隔介護を経て、ついに向き合うことになった父の衰弱。主治医からの言葉と、再会した父の姿、そして当時の僕が抱いた心境を振り返ります。
突然の電話と「1か月」という宣告
2025年11月24日、東京で仕事をしていた僕のもとに、京都のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)から連絡が入りました。「お父様の容態を一気に悪化(衰弱)されています」という看護師さんの言葉に、一瞬で空気が張り詰めました。
「数日前から食事も喉を通らず、かなり衰弱されています。今日の様子だと、あと1か月は持たないかもしれません」
看護師さんは立場上、安全を見て少し長めの期間を提示されているのだと、そのニュアンスが直感的に伝わってきました。父の身体は、僕たちが想像する以上の速さで限界に近づいていたのです。
主治医からの報告と「2、3日の覚悟」
翌日の火曜日、往診を担当してくださっている主治医からも電話がありました。その内容はさらに切実なものでした。「日曜日の診察時とは激変しています。会話もほぼ成り立たず、水分を摂るのが精一杯の状況です。この様子だと、2、3日のうちに血圧が下がり、施設から緊急連絡がいくことになるでしょう」
父の死期が近いことは、心のどこかで覚悟していました。そのため、医師からの報告も意外なほど冷静に受け止めることができました。数日前に電話で話した際、「しんどい、早く来てくれ」と言われたことにすぐ応じられなかった悔いは残りましたが、5年間にわたり遠隔介護を全うしてきたという、自分なりの「やり遂げた感」があったのも事実でした。
一週間ぶりの再会と父の変化
僕は予定を前倒しし、11月26日の水曜日に仕事を切り上げ京都へと向かいました。わずか一週間前に会った時とは、父の外見は明らかに変わっていました。
痩せ細り、手足に力が入らず、自力では寝返りを打つのが精一杯。それでも僕の顔を見ると、目を開けて「お前どこ行ってたんや」と、いつもの口調で話しかけてくれました。時系列の認識は曖昧になっていましたが、息子である僕の存在だけは、しっかりと認識しているようでした。
身体に現れた「衰弱の兆候」
施設の看護師さんからは、身体が静かに終わりの準備を始めているサインについても説明を受けました。
- 排尿が止まっていること
- 黒い排便があること
- 自力での水分摂取が困難なこと
これらは、医学的な観点からも衰弱が極限まで進んでいることを示していました。当時は介助を受けながら、少しずつお茶を口に含ませてもらっている状態でした。
京都で過ごす、父との最期の時間
僕はその日が来るまで京都に滞在することを決めました。実家を拠点にしながら、サ高住に通い、父との最期の時間を共有することにしたのです。
遠距離での介護は決して楽な道ではありませんでしたが、こうして最後に寄り添える状況を整えてこられたことに、当時は静かな納得感を得ていました。父が少しでも穏やかに過ごせるよう、ただそばで見守り続けたいと思いました。
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