【京都・紫野の物語】賀茂大神に仕えた聖なる皇女「斎院(斎王)」の足跡を辿る#1168
京都の初夏を彩る葵祭のヒロイン「斎王代」。そのモデルとなったのは、かつて賀茂の大神に仕え、国の平安を祈り続けた「斎王(斎院)」という聖なる皇女たちでした。
- 【問1】 賀茂大神に奉仕する未婚の皇女(斎王)のために、平安時代に「斎院」の制度を創設した天皇は誰でしょう?
- 【問2】 嵯峨天皇の皇女であり、漢詩の才にも恵まれた初代の斎王は誰でしょう?
- 【問3】 鎌倉時代、後鳥羽天皇の皇女・礼子内親王を最後に制度が途絶えるまで、斎王は何代続いたとされていますか?
- 【問4】 本来は斎王の居所を指す言葉であり、のちに職名としても定着した、伊勢の「斎宮」に対して京都で使われた呼称は何でしょう?
- 【問5】 斎王が日常生活を送った「紫野斎院」は、現在の京都市上京区にある何という神社の付近にあったとされていますか?
☆回答は記事の最後にあります。
嵯峨天皇が創設し、平安の世に咲いた35代にわたる雅な制度。彼女たちはどこで暮らし、どのような祈りを捧げていたのか。今回は、紫野の地に今も面影を残す「斎院」の歴史と魅力を、備忘録として分かりやすく紐解きます。
1. 斎王(斎院)とは:国の平安を祈る「聖なる皇女」
斎王(さいおう)とは、天皇に代わって神に仕えるために選ばれた、未婚の皇女(内親王や女王)のことです。その役割は、ただ儀式を行うだけでなく、国の安寧と世界の平和を祈り、神と人を繋ぐことにありました。
京都においては、賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の両賀茂神社に奉仕する皇女を指します。

2. 斎院制度の創設と「初代・有智子内親王」
この「斎院(さいいん)」の制度を創設したのは、平安文化を象徴する嵯峨天皇です。
- 創設の背景: 810年(弘仁元年)、薬子の変(平城上皇との対立)に際し、嵯峨天皇が「戦が終われば皇女を神に捧げる」と祈願したことが始まりとされています。
- 初代斎院: 嵯峨天皇の皇女である有智子(うちこ)内親王。彼女は漢詩の才能に長けた才女としても知られ、当時の文化的な象徴でもありました。
以降、鎌倉時代の後鳥羽天皇の皇女・礼子(いやこ)内親王まで、約400年にわたり計35代の斎王がその歴史を繋ぎました。
3. 「斎王」と「斎院」の違いとは?
少しややこしいのがその呼び名です。一般的に、伊勢神宮に仕える皇女を「斎宮(さいぐう)」、賀茂神社に仕える皇女を「斎院(さいいん)」と呼び分けて区別します。
- 職名としての「賀茂斎院」: 本来「斎院」とは斎王が暮らす建物のことでしたが、次第にその職名や制度自体を指すようになりました。
- 選出方法: 『延喜式』などの記録によると、伊勢の斎宮に準じて、亀の甲羅を焼いて占う**「卜定(ぼくじょう)」**によって、内親王の中から選ばれました。
4. 斎院たちが暮らした「紫野斎院」の面影
斎王が日常生活を送った御所は、現在の京都市上京区、紫野の地にありました。
- 場所: 現在の七野(ななの)神社一帯。かつてはこの周辺に壮麗な御所が広がっており、**「紫野斎院」**と呼ばれ親しまれました。
- 文化の拠点: 平安時代、斎院の御所は歌合(うたあわせ)などが催される華やかな文化サロンとしての側面もあり、『源氏物語』などの古典文学にもその情緒が色濃く描かれています。
あとがき:現代に受け継がれる斎王の姿
現在でも、京都の初夏を彩る「葵祭(賀茂祭)」のヒロインとして、**斎王代(さいおうだい)**がその姿を今に伝えています。当時の斎王は一生を神に捧げるほどの重責でしたが、その気高い祈りの精神は、今も京都の街に息づいています。
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