【京都検定対策】恋に生き、歌に生きた女流歌人「和泉式部」ゆかりの地とエピソードまとめ#1133
平安時代、情熱的な恋と卓越した歌才で名を馳せた女流歌人・和泉式部。彼女の足跡は、今も京都市内の寺社に色濃く残っています。本記事では、京都検定の頻出ポイントである誠心院や貴船神社のエピソードを中心に、試験対策にも役立つ「和泉式部ゆかりの地」を分かりやすく解説します。
- 【問1】 和泉式部が初代住職(開山)を務めたと伝えられ、現在も新京極通に位置する寺院はどこか。
- 【問2】 和泉式部が敦道親王との恋の顛末を綴ったとされる、平安文学を代表する日記作品は何か。
- 【問3】 夫との不仲を嘆いた和泉式部が、参拝して「もの思へば…」の歌を詠んだとされる、縁結びでも有名な洛北の神社はどこか。
- 【問4】 和泉式部が阿弥陀如来に祈り、女人往生を遂げたという伝説から、能の演目にもなっている寺院はどこか。
- 【問5】 和泉式部が仕えた人物であり、中宮彰子の父として権勢を振るった平安時代の貴族は誰か。
☆回答は記事の最後にあります。
京都の歴史を彩る女性の一人、和泉式部(いずみしきぶ)。 平安時代の中期に活躍した歌人であり、紫式部や和泉式部とともに「一条天皇期の才女」として知られています。今回は、京都検定でも頻出の彼女の生涯と、京都市内に残るゆかりのスポットを分かりやすく解説します。
## 和泉式部とは?:恋多き「情熱の歌人」
和泉式部は、平安時代中期の女流歌人です。 越前守・大江雅致の娘として生まれ、和泉守・橘道貞と結婚したことから「和泉式部」と呼ばれるようになりました。
彼女の最大の特徴は、その情熱的で自由な恋愛遍歴です。 冷泉天皇の皇子である為尊親王、さらにその弟の敦道親王との熱烈な恋は当時の貴族社会に衝撃を与え、夫との離縁や父からの勘当を招くこととなりました。
しかし、その激しい感情が優れた歌を生み出す源泉となります。 彼女の私家集である**『和泉式部集』や、敦道親王との恋の顛末を綴った『和泉式部日記』**は、平安文学の傑作として今も読み継がれています。
## 誠心院(じょうしんいん):和泉式部が開山した「知恵と恋の寺」
京都検定で最も重要なスポットが、新京極通にある誠心院です。 和泉式部は晩年、藤原道長から邸宅を与えられ、そこを寺としたのが始まりとされています。
- 初代住職: 和泉式部が誠心院の初代住職(開山)と伝えられています。
- 和泉式部忌: 毎年3月21日には法要が行われ、彼女を偲ぶ謡曲の奉納などが行われます。
- 鈴成り輪: 境内にあり、回すと「知恵」や「恋」のご利益があると言われるパワースポットです。
## 貴船神社(きふねじんじゃ):不仲の夫との復縁を願った場所
和泉式部は、夫・橘道貞との仲に悩んでいた時期、貴船神社に参拝しています。 そこで詠んだのが、後拾遺和歌集にも収められた有名な一首です。
「もの思へば 沢の蛍も 我が身より あくがれいづる 魂(たま)かとぞ見る」 (物思いにふけっていると、沢を飛ぶ蛍も、自分の体から抜け出した魂ではないかと思えるほどです)
この切実な願いが届き、夫婦仲が修復したという伝説から、貴船神社の「結社(ゆいのやしろ)」は現在も縁結びの聖地として多くの人が訪れます。
## 誓願寺(せいがんじ):女性の救済を求めた「女人往生」の寺
新京極通の突き当たりに位置する誓願寺も、和泉式部にゆかりがあります。 女性の往生(救済)が難しかった時代、和泉式部が播磨国の法道上人の教えにより、誓願寺の本尊である阿弥陀如来に祈って救われたという伝説が残っています。
このエピソードは、能の演目**『誓願寺』**の題材にもなっており、和泉式部は「歌舞の菩薩」として尊ばれるようになりました。
## 京都検定のためのチェックポイント!
受験生の方は以下の3点をセットで覚えておきましょう。
- 作品: 『和泉式部集』『和泉式部日記』。中古三十六歌仙の一人。
- 誠心院: 新京極にあり、和泉式部が初代住職。
- 貴船神社: 蛍の歌を詠み、復縁を祈願した場所。
和泉式部の足跡を辿ると、平安時代の女性が抱いた情熱や悩みが、現代の私たちとそう変わらないことに気づかされます。京都の街を歩く際は、ぜひ新京極や貴船で彼女の息遣いを感じてみてください。
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