【京都検定】京都近代化の父・田邊朔郎:琵琶湖疏水にかけた情熱と誕生秘話#1151
京都の近代化を象徴する琵琶湖疏水。その設計を若干21歳で任されたのが田邊朔郎です。北垣国道知事との出会いや、高木文平とのアメリカ視察から生まれた「水力発電」への大転換など、京都検定にも頻出する彼の足跡を分かりやすく整理しました。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 第1問: 琵琶湖疏水の設計・監督を担当し、後に京都帝国大学教授も務めた工学博士は誰か。
- 第2問: 田邊朔郎を京都府知事の北垣国道へ推薦した、当時の工部大学校校長は誰か。
- 第3問: 田邊朔郎と共にアメリカを視察し、水力発電の導入を推進した京都商工会議所の初代会長は誰か。
- 第4問: 田邊朔郎を工事責任者に抜擢し、琵琶湖疏水建設を強力に推進した第3代京都府知事は誰か。
- 第5問: アメリカ視察の結果、当初の水車動力から変更され、蹴上に建設された日本初の施設は何か。
☆回答は記事の最後にあります。
京都の街を歩くと、至る所に流れる琵琶湖疏水。この巨大プロジェクトを弱冠21歳で成し遂げたのが、**田邊朔郎(たなべ さくろう)**です。京都検定でも必須となる彼の功績と、重要人物との繋がりを整理しました。
田邊朔郎の出自:幕臣の家系から工学の道へ
田邊朔郎は、江戸(現在の東京)に生まれました。
- 幕臣の血筋: 代々、徳川家に仕えていた砲術家の家系に誕生しました。
- 推薦と京都府就職: 叔父の親友であった大鳥圭介(工部大学校校長)から、当時の京都府知事・北垣国道(きたがき くにみち)へ推薦されたことが、京都との縁の始まりでした。
- 若き技術者の採用: 1883年、工部大学校(現在の東京大学工学部)を卒業してすぐに京都府へ就職し、琵琶湖疏水工事の担当者に抜擢されました。
アメリカ視察と「水力発電」への方針転換
当初、疏水の目的は「舟運(水運)」や「水車」の動力を得るためでしたが、大きな転換期が訪れます。
- アメリカ視察: 工事の途中、京都商工会議所の初代会長を務めた高木文平(たかぎ ぶんぺい)と共にアメリカへ渡りました。
- 水力発電との出会い: コロラド州のアスペンで最新の水力発電の実情を視察し、大きな衝撃を受けました。
- 計画変更: 帰国後、水の動力を「水車」から**「水力発電」**へと変更することを決意。これが日本初の路面電車(京都市電)の開業へと繋がっていきます。
教育者としての功績:後進の育成へ
田邊は技術者としてだけでなく、教育者としても多大な足跡を残しました。
- 大学教授を歴任: 琵琶湖疏水の完成後、東京帝国大学や京都帝国大学の教授を務め、日本の土木工学の発展に貢献しました。
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前述の練習問題の解答☆
- 田邊朔郎
- 大鳥圭介
- 高木文平
- 北垣国道
- (蹴上)水力発電所