【京都検定対策】家康の窮地を救った京の豪商・初代「茶屋清延」とその功績#1149
京都検定の頻出項目であり、徳川家康の天下取りを影で支えた最重要人物の一人、初代「茶屋清延(茶屋四郎次郎)」。本能寺の変という最大の危機を救った「神君伊賀越え」のエピソードから、江戸時代の繁栄までを整理しました。これから京都検定を目指す方のための備忘録として、重要語句を網羅して解説します。
この記事内容から抜粋した練習問題5問☆
- 初代・茶屋清延が、代々の当主とともに襲名した通り名(名号)は何ですか?
- 足利義輝が清延の父の屋敷へ頻繁に立ち寄った際、何を飲んだことが「茶屋」の屋号の由来とされていますか?
- 1582年、本能寺の変が起きた際に清延がいち早く徳川家康に知らせ、脱出を支援したエピソードを何と呼びますか?
- 江戸幕府が開かれた後、茶屋家が一手に引き受けた、徳川家向けの衣装などを調達する役割を何と呼びますか?
- 茶屋家(三代目・清次など)が海外貿易で巨万の富を築く際に用いた、幕府発行の渡航許可証を伴う貿易を何といいますか?
☆回答は記事の最後にあります。
目次
1. 初代・茶屋四郎次郎:茶屋清延の出自と名号
茶屋家はもともと信濃国の守護職・小笠原氏の末流とされます。清延の父が京都で呉服商を営み、将軍・足利義輝がその屋敷へしばしば「茶」を飲みに立ち寄ったことから、**「茶屋」**の屋号を賜ったと伝えられています。
清延は**「茶屋四郎次郎」**を襲名し、代々当主がこの名を名乗ることになります。彼は単なる商人ではなく、若い頃には三河国で家康に仕えた武士としての側面も持っていました。
2. 徳川家康との深い絆:呉服御用と軍需物資
清延は家康が天下を取る前から深い信頼関係を築いていました。
- 徳川家康の京都御用: 京の呉服商として、徳川家の衣装や軍需物資(武器・糧食)の調達を一手に引き受けました。
- 戦陣への供奉: 商人でありながら、三方ヶ原の戦いや長篠の戦いなど、家康の主要な戦に50回以上も同行したとされています。
- 諜報活動(隠密): 上方(京都・大坂)の情勢に精通していた清延は、各地の情報を家康に伝える「隠密」のような役割も果たしていました。
3. 歴史の転換点「神君伊賀越え」での活躍
京都検定でも頻出のトピックが、1582年の「本能寺の変」における清延の行動です。 家康が堺を見物中に信長が倒れた際、清延はいち早くこの危機を家康に知らせました。
- 脱出の支援: いわゆる**「神君伊賀越え」**の際、清延は自ら先導役を務め、路銀の調達や関係各所への根回しを行い、家康を無事に三河へと帰還させました。
- この功績により、家康が天下を取った後、茶屋家は幕府から「天下の豪商」としての特権的な地位を約束されることになります。
4. 安土桃山・江戸時代における京の豪商としての繁栄
家康が江戸に幕府を開いた後も、清延率いる茶屋家は京都における徳川家の目となり耳となりました。
- 京都所司代の設置に影響: 関ヶ原の戦い後、京の治安維持のために**「京都所司代」**を置くよう進言したのも茶屋家(二代目・清忠)と言われています。
- 朱印船貿易の展開: 後の三代目・清次の代には、ベトナムなどとの朱印船貿易でも巨万の富を築きました。
まとめ:京都検定に向けたチェックポイント
- 茶屋清延 = 初代・茶屋四郎次郎。
- 本能寺の変での早馬による情報伝達と、**「伊賀越え」**の物心両面での支援。
- 徳川幕府の京都呉服御用を務め、京都の経済・情報の中心にいた。
- 角倉了以、後藤庄三郎とともに**「京の三長者」**(あるいは三豪商)の一人に数えられることもある。
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前述の練習問題の解答☆
- 茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)
- 茶
- 神君伊賀越え(しんくんいがごえ)
- 京都呉服御用(きょうとごふくごよう)
- 朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)