京都と大沢善助:近代化の礎を築いた実業家の軌跡#1147
京都の街に初めて電灯を灯し、日本初の路面電車を走らせた一人の実業家をご存知でしょうか。その名は「大沢善助」。新島襄との出会いからクリスチャンとなり、京都の近代化を経済・技術の両面からリードした彼の情熱的な生涯と、今も街に残るその足跡を辿ります。
- 第1問: 大沢善助が1890年に創立し、時計や計量器、自転車などの輸入・販売を行った現在の老舗商社の前身は何という会社ですか?
- 第2問: 善助が30年以上にわたって社長を務め、琵琶湖疏水の電力を供給して京都の近代化を支えた企業は何ですか?
- 第3問: 1895年、大沢善助らが中心となって、日本で初めて一般営業を開始させた乗り物は何ですか?
- 第4問: 善助の人生に大きな影響を与え、彼をキリスト教への入信(洗礼)に導いた同志社英学校の創立者は誰ですか?
- 第5問: 善助が寄付を行い、現在も同志社女子大学にその名を冠した寮が残っているなど、彼が深い関わりを持っていた教育機関はどこですか?
☆回答は記事の最後にあります。
京都の街を歩くと、レトロな洋風建築や路面電車の名残に出会うことがあります。その近代京都のグランドデザインを経済面から支えた一人が、**大沢善助(おおさわ ぜんすけ)**です。
彼は単なる実業家にとどまらず、技術への先見の明と、京都という街への深い愛情を持った人物でした。
任侠の世界から実業家、そしてクリスチャンへ
大沢善助の経歴は非常にユニークです。もともとは京都の任侠(大垣屋清八)の養子となり、若大将として活躍していました。しかし、同志社英学校の創立者・新島襄との出会いによって運命が大きく変わります。新島から洗礼を受け、クリスチャンとなった善助は、それまでの家業を譲り、実業の道へと進む決意をしました。
「大沢商会」の創立と時計・計量器の輸入
1890年(明治23年)、彼は現在も続く老舗商社**「大沢商会」の前身を創立します。 当時、まだ珍しかった金庫や計量器、時計、そして自転車**などの輸入・製造販売に乗り出しました。特に時計製造においては、琵琶湖疏水の水力発電を利用した工場を設立するなど、新しいエネルギーをいち早くビジネスに取り入れる先見の明を発揮しました。
京都の夜を照らした「京都電燈」の経営
善助の功績として欠かせないのが、電気事業への貢献です。1892年(明治25年)から30年以上にわたり京都電燈株式会社の社長を務めました。 琵琶湖疏水を利用した蹴上発電所の電力を供給し、京都の家庭や工場に「あかり」を灯すことで、京都の近代産業を劇的に進化させました。
日本初の路面電車「京都電気鉄道」の設立
さらに、1894年(明治27年)には京都電気鉄道の設立に参画。翌年には、日本で初めての一般営業用路面電車を京都の街に走らせました。 「チンチン電車」の愛称で親しまれたこの電車は、平安神宮で開催された第4回内国勧業博覧会への足としても活躍し、観光都市・京都のイメージ形成にも一役買いました。
京都の文化・教育への貢献
実業で成功を収めた後も、善助は社会への還元を忘れませんでした。 京都府議会議員や京都商業会議所の副会頭を歴任し、政治・経済の両面から京都を支えたほか、母校ともいえる同志社の発展にも尽力しました。同志社女子大学にある「大沢寮」は、彼の寄付によって建てられたもので、その精神は今も教育の現場に息づいています。
まとめ(検定対策ミニ知識)
京都検定を目指す方へのポイントを絞ると、以下の3点が重要です。
- 大沢商会を創立し、時計や計量器を普及させた。
- 京都電燈の社長として、京都の電気供給を安定させた。
- 京都電気鉄道の設立に関わり、日本初の路面電車を実現した。
近代京都の発展は、大沢善助という一人の熱き実業家の挑戦から始まったと言っても過言ではありません。
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- 第1問の答え: 大沢商会
- 第2問の答え: 京都電燈(株式会社)
- 第3問の答え: 路面電車(京都電気鉄道)
- 第4問の答え: 新島襄
- 第5問の答え: 同志社(または同志社英学校・同志社女子大学)