秀吉の右腕、前田玄以が築いた「京都」の礎。三条大橋や御土居に宿る実務家の功績#1145
京都の街を歩いていると、ふとした場所で「豊臣秀吉」の影を感じることが多いですよね。しかし、その壮大なプロジェクトを実際に現場で指揮し、京都の復興を支えた「実務家」の存在は意外と知られていません。
その筆頭が、五奉行の一人である**前田玄以(まえだ げんい)**です。
- 豊臣政権下で、石田三成や浅野長政らと共に実務を担った、前田玄以も名を連ねる5人の役職の総称は何?
- 前田玄以が秀吉から任命され、京都の治安・行政・寺社交渉などの全権を掌握した役職名は何?
- 奈良の大仏を凌ぐ規模を目指して造営され、前田玄以がその造営奉行を務めた京都の寺院はどこ?
- 天正18年(1590年)、前田玄以が奉行として石柱を用いた本格的な橋へと大改修した、東海道の起点としても知られる橋は何?
- 秀吉の命により京都の街を囲うように築かれた、洛中と洛外を分けるための巨大な土塁(堤防兼防壁)を何と呼ぶ?
☆回答は記事の最後にあります。
今回は、京都の都市計画に深く関わった前田玄以の足跡を、ブログ記事形式で整理してまとめました。
京都の礎を築いた男、前田玄以とは?
前田玄以は、豊臣秀吉の側近として活躍した**「五奉行」**の一人です。もともとは比叡山の僧侶でしたが、織田信長に仕え、信長の死後は秀吉の配下となりました。
彼の最大の功績は、秀吉から**「京都奉行」**に任命されたことです。 戦乱で荒廃した京都を、再び日本の中心にふさわしい美しい都へと再建する——。その重責を担ったのが、この玄以でした。
秀吉の野望を形にした「三大プロジェクト」
前田玄以が手掛けた仕事は、現代の京都の景観を決定づけるものばかりです。
1. 方広寺の大仏建立
秀吉が奈良の大仏を超える規模を目指して建設した「方広寺」。その造営の責任者が玄以でした。 現在は「国家安康」の鐘で知られるお寺ですが、当時は巨大な大仏殿がそびえ立つ、秀吉の権力の象徴でした。玄以は資材の調達から工程管理まで、膨大な事務作業を指揮しました。
2. 内裏(御所)の修復
長く続いた戦乱で荒れ果てていた内裏の修復も、玄以の大切な任務でした。 朝廷との交渉役も務めていた彼は、伝統を守りつつ、豊臣政権の威信をかけた荘厳な空間へと作り替えました。今の京都御所の原型となる整備に、彼は深く関わっています。
3. 三条大橋の改修
鴨川に架かる「三条大橋」。天正18年(1590年)に秀吉の命で石柱の橋へと大改修した際、その奉行を務めたのが玄以です。 現在も三条大橋のたもとには、当時の石柱が残っています。京都の物流の要(かなめ)を整えた功績は計り知れません。
都市計画「御土居」と「聚楽第」
玄以の仕事は単一の建築にとどまらず、**「京都の街そのものを囲い直す」**という壮大なスケールに及びました。
- 御土居(おどい)の造営: 京都の街をぐるりと囲む巨大な土塁(堤防兼防壁)を築きました。これにより「洛中(街の中)」と「洛外(街の外)」が明確に定義されました。
- 聚楽第(じゅらくだい)の建設: 秀吉の邸宅であり政庁でもある聚楽第。その周辺には大名屋敷が並びましたが、これら一連の都市開発の実務を取り仕切ったのも玄以です。
宗教と政治をつなぐ「緩衝材」としての役割
僧侶出身であった玄以は、寺社勢力との交渉にも長けていました。 秀吉の「刀狩」や「検地」といった厳しい政策を京都で実行しつつも、寺院の保護や調整を行うことで、混乱を最小限に抑えました。
彼が「京都奉行」として君臨した時代があったからこそ、私たちは今、整備された美しい京都の街並みを歩くことができるのです。
前田玄以にまつわるキーワード
- 五奉行: 豊臣政権の行政を担った実務集団
- 京都奉行: 京都の治安・行政・寺社交渉のトップ
- 本能寺の変: 実は織田信忠の嫡男(秀信)を救い出した、というエピソードも
(あとがき) 京都検定の勉強をしていると、どうしても「秀吉」という名前ばかりが目立ちますが、その裏で汗を流した前田玄以の存在を知ると、街歩きがより一層深くなります。三条大橋を渡る際は、ぜひ足元の石柱にも目を向けてみてくださいね。
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