【京都・聖地巡礼】道真公が最後に見た景色とは?長岡天満宮と「みかえり天神」の物語#1144
学問の神様として親しまれる菅原道真公。華々しい出世の影に隠された、京を去る際の切ない「別れの物語」をご存知でしょうか?自身の領地であった長岡の地で、道真公が何を想い、どの石に腰掛けて都を振り返ったのか。
- 昌泰4年(901)、右大臣であった菅原道真が左遷される原因となった事件を何と呼ぶか?
- 道真が左遷先の大宰府において任命された、大臣が罰を受けた際に充てられる役職名を何というか?
- 道真が自身の領地であり、京を去る際に立ち寄ったとされる、現在の長岡京市に位置する神社はどこか?
- 長岡天満宮の境内にあり、道真が腰掛けて京都を振り返ったと伝わる石の名前は何か?
- 道真が京の名残を惜しんで何度も振り返ったという伝説から付いた、長岡天満宮の別名は何か?
☆回答は記事の最後にあります。
今回は「みかえり天神」の名で愛される長岡天満宮の歴史と、道真公の足跡を辿ります。
悲劇の幕開け:昌泰の変と大宰府への左遷
平安時代、学問の神様として知られる菅原道真は、宇多天皇の信任を得て異例の出世を遂げ、**右大臣(従二位)**という最高位にまで登り詰めました。
しかし、その隆盛を快く思わない藤原時平らの策謀により、突如として身に覚えのない罪を着せられます。昌泰4年(901)、道真は**太宰権帥(だざいのそに)**へと事実上の左遷を命じられました。
豆知識:太宰権帥とは? 本来は九州を統括する「大宰帥」を補佐する役職ですが、大臣クラスの人物が罪を得て左遷される際の、いわば「名ばかりの役職」として用いられることが多くありました。
京都との別れ:長岡の地に残した未練
京の都を離れ、九州へと向かう道中。道真公がかつて自身の領地として愛し、しばしば詩を詠んだ場所が、現在の京都府長岡京市にある長岡天満宮です。
都を去る際、道真公はこの地に立ち寄り、名残惜しそうに何度も何度も京の都を振り返ったと伝えられています。その際に腰を下ろしたとされるのが、今も境内に大切に守られている**「みかえり石」**です。
「みかえり天神」という愛称に込められた想い
長岡天満宮は、道真公が振り返ったという伝承から、別名**「みかえり天神」**とも呼ばれています。
「学問の神様」としての厳しい表情だけでなく、家族や慣れ親しんだ京の街を愛し、後ろ髪を引かれる思いを抱えた「一人の人間としての道真公」の姿。その切なさが、今もなお多くの参拝者の共感を呼んでいます。
- みかえり石: 道真公が腰掛け、京都の方角を眺めたとされる石。
- 長岡天満宮: 霧島ツツジの名所としても知られ、道真公の清廉な精神を象徴するような美しい景観が広がっています。
結び:歴史を歩く、京都を歩く
ただ知識として「左遷された」と知るよりも、彼が最後にどの石に座り、どの景色を見ていたのかを想像しながら歩くと、京都の風景はより一層深く見えてきます。
次の京都散策では、道真公の視線を追って「長岡天満宮」を訪れてみませんか?
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