江戸のヒットメーカー十返舎一九と歩く、笑いと涙の東海道珍道中#1141
京都・三条大橋のたもとに立つ二人の男の銅像、その正体を知っていますか?江戸時代に空前の旅ブームを巻き起こした大ヒット作『東海道中膝栗毛』と、その生みの親である天才戯作者・十返舎一九。完結までに21年を要した物語の魅力や、最期まで「笑い」を追求した一九の破天荒な生涯を紐解きます。
- 江戸時代後期に活躍し、日本初のプロ作家とも言われる『東海道中膝栗毛』の作者は誰か?
- 享和2年(1802年)から21年もの歳月をかけて完結した、弥次郎兵衛と喜多八の珍道中を描いた作品名は何か?
- 『東海道中膝栗毛』のタイトルにある「膝栗毛」とは、どのような移動手段を意味する言葉か?
- 『東海道中膝栗毛』の主人公である弥次郎兵衛・喜多八の銅像が立てられている、京都の鴨川に架かる橋はどこか?
- 自分の葬儀の際、火葬の煙とともに花火が上がるよう仕掛けたという、十返舎一九の最期にまつわる有名なエピソードは何と呼ばれるか?(※「洒落(しゃれ)」や「サービス精神」に関わる問いとして)
☆回答は記事の最後にあります。
皆さんは、京都・三条大橋のたもとに立つ、二人の男の銅像をご存知でしょうか? 彼らこそ、江戸時代に日本中を爆笑の渦に巻き込んだ大ヒット作『東海道中膝栗毛』の主人公、弥次さん・喜多さんです。
今回は、この物語を生み出した江戸の天才戯作者、**十返舎一九(じっぺんしゃ いっく)**の魅力に迫ります。
江戸のマルチクリエイター、十返舎一九
十返舎一九は、江戸時代後期に活躍した戯作者です。 もともとは武士の家に生まれましたが、大阪で浄瑠璃の作者となり、後に江戸へ移って「出版界の風雲児」としてその才能を開花させました。
彼のペンネーム「十返舎」は、十度焚いても香りが消えないとされる香木「十返しの香(蘭奢待)」から取られたといわれ、その名の通り、何度読んでも飽きない作品を世に送り出し続けました。
21年かけて完結した超ロングセラー『東海道中膝栗毛』
彼の代表作といえば、なんといっても**『東海道中膝栗毛』。 享和2年(1802年)から出版が始まり、続編を含めて完結までに21年**もの歳月を費やした、江戸時代最大のベストセラーです。
「膝栗毛」とは、馬に乗る代わりに自分の膝を栗毛の馬に見立てて歩く、つまり「徒歩旅行」を意味します。 主人公の弥次郎兵衛(弥次さん)と喜多八(喜多さん)が、江戸から伊勢、そして京都・大阪へと向かう道中で繰り広げる失敗談や下ネタ満載の掛け合いは、当時の人々に旅への憧れと笑いを届けました。
三条大橋に立つ、旅の終着点のシンボル
物語のクライマックスの一つ、京都の入り口となるのが三条大橋です。 現在、橋の西詰には弥次さんと喜多さんの銅像が立っており、旅人たちを見守っています。
江戸から長い道のりを歩き、ようやく京の都に辿り着いた二人の姿は、どこか誇らしげで愛嬌たっぷり。京都観光の際は、ぜひ彼らと同じポーズで写真を撮ってみるのもおすすめですよ。
最期まで「シャレ」を貫いた破天荒な逸話
十返舎一九という人物を語る上で欠かせないのが、その並外れたサービス精神です。 一九は亡くなる際、門弟たちに「自分が死んでも、死体を洗わず(湯灌せず)にそのまま火葬してくれ」と言い残しました。
いざ火葬が始まると、一九が服の中に仕込んでおいた花火が夜空に打ち上がったという伝説が残っています(※創作説もありますが、いかにも彼らしいエピソードです)。
彼の辞世の句もまた、粋な洒落に満ちています。
「この世をば どりゃおいとまに せん香の 煙とともに 灰左様なら」
最後まで人々を笑わせようとした一九の精神は、今の時代にも通じる「エンターテイメントの本質」を感じさせてくれます。
まとめ
三条大橋の弥次喜多像を眺めるとき、その背景にいる十返舎一九の遊び心に思いを馳せてみると、いつもの風景が少し違って見えるかもしれません。 江戸の人々を虜にした「笑いの旅」、皆さんも一度その世界を覗いてみてはいかがでしょうか?
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- 十返舎一九(じっぺんしゃ いっく)
- 東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)
- 徒歩旅行(自分の膝を栗毛の馬に見立てて歩くこと)
- 三条大橋(西詰)
- 火葬で花火を打ち上げたエピソード(または、最後まで貫いた「洒落・遊び心」など)