「京都地誌の父」黒川道祐が歩いた京の街――300年前の空気感を今に伝える『雍州府志』 #1135
京都の歴史を深掘りする上で欠かせない「京都地誌の父」こと、黒川道祐。広島藩の医師でありながら、京都の街を愛し、その姿を詳細に記録した彼は、一体どのような人物だったのでしょうか。彼が暮らした「白雲村」の面影や、現代でも京都歩きのバイブルとされる名著『雍州府志』の魅力を紐解きます。
- 第1問: 江戸時代初期に活躍し、広島藩の藩医を務める傍ら、京都の地誌を編纂した人物は誰ですか?
- 第2問: 黒川道祐が京都で居を構えた、現在の新町通今出川付近を当時は何という村と呼びましたか?
- 第3問: 日本の医学の歴史を体系的にまとめた、黒川道祐の医学史書のタイトルは何ですか?
- 第4問: 貞享元年(1684年)に刊行された、山城国(京都)の地理や歴史を網羅した地誌を何といいますか?
- 第5問: 黒川道祐が著した地誌のタイトルにある「雍州(ようしゅう)」とは、どこの国の別称ですか?
☆回答は記事の最後にあります。
はじめに:京都を語る上で欠かせない「江戸の文化人」
京都の寺社巡りや歴史散歩をしていると、時折その名を目にする人物がいます。江戸時代初期の医師であり、稀代の文化人でもあった黒川道祐です。 彼は広島藩の藩医というエリートの顔を持ちながら、京都の街と文化をこよなく愛し、現代の私たちにとっても貴重な「京都の記録」を遺してくれました。
京都・白雲村での暮らし:新町今出川に生きた知識人
黒川道祐は、京都に出て現在の新町通今出川あたり、当時は**「白雲村(はくうんむら)」**と呼ばれた場所に住まいを構えました。
- 白雲(はくうん): 閑静な住宅街であったこの地で、彼は医師としての活動の傍ら、儒学や歴史の研究に没頭しました。
- 知の交流: 当時の京都は文化の中心地。道祐はこの場所を拠点に、多くの知識人や公家たちと交流し、膨大な知識を蓄えていったのです。
医学の歴史を紐解く:著作『本朝医考』
医師としての彼の功績で最も重要なのが、**『本朝医考(ほんちょういこう)』**の執筆です。
これは日本における医学史の先駆けとも言える書物で、日本の医学がどのように発展してきたのかを体系的にまとめようとした試みでした。単に病を治すだけでなく、「医の歴史」を見つめるその視点には、彼の学者としての誠実さが表れています。
京都地誌の最高峰:『雍州府志』の刊行
そして、道祐の名を後世に刻みつけた最大の仕事が、貞享元年(1684年)に刊行された京都の地誌**『雍州府志(ようしゅうふし)』**です。
- 「雍州(ようしゅう)」とは: 山城国(現在の京都府南部)の別称です。
- 圧倒的な情報量: 京都の地理、歴史、神社仏閣、名産品、さらには年中行事までが漢文体で詳細に記されています。
- 貴重な資料: 江戸時代、これほど網羅的に京都を紹介した地誌は類を見ず、後の京都観光や歴史研究において「バイブル」的な存在となりました。
おわりに:道祐の視線で京都を歩く
私たちが今、何気なく眺めている京都の風景。その多くが300年以上前、黒川道祐が実際にその目で見て、筆を走らせたものと同じかもしれません。
彼が愛した「白雲村」の空気を想像しながら、今の新町今出川を歩いてみる。そんな**「歴史の追体験」**こそが、京都を歩く本当の醍醐味ではないでしょうか。

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- 第1問: 黒川道祐(くろかわ どうゆう)
- 第2問: 白雲村(はくうんむら)
- 第3問: 『本朝医考』(ほんちょういこう)
- 第4問: 『雍州府志』(ようしゅうふし)
- 第5問: 山城国(やましろのくに)
