往時の旅人に思いを馳せて。京の東の玄関口「粟田口」を歩く#1132

京都の東の玄関口として、古くから旅人を見守ってきた「粟田口」。ここは単なる通行路ではなく、天下の名刀が生まれた聖地であり、旅人が道中の安全を祈ったはじまりの場所でもありました。今回は、京都検定の勉強中に出会ったこの地の歴史と、今も残る旅情あふれる街歩きの魅力を整理してご紹介します。

この記事内容から抜粋した練習問題5問☆

問1 京都の主要な出入り口の総称を「京の七口」といいますが、そのうち東海道・中山道へと通じる東の玄関口を何と呼ぶでしょう?

問2 粟田口は、京の街から見てどこの国(現在の滋賀県)へ抜ける交通の要衝として栄えましたか?

問3 江戸時代に整備された五街道の一つで、粟田口がその道筋の事実上の起点として意識されていた街道は何でしょう?

問4 平安時代から鎌倉時代にかけて、粟田口を拠点に活動し、優れた刀剣を打ち出した名工たちの集団を何派というでしょう?

問5 粟田口に位置し、現在は「旅立ちの神」として旅の安全祈願で知られる神社はどこでしょう?

☆回答は記事の最後にあります。

京都の街歩きをしていると、ふと歴史の境界線を感じる場所があります。その代表格が、東山の麓に位置する**粟田口(あわたぐち)**です。かつて多くの旅人が出会いと別れを繰り返したこの場所には、今も独特の情緒が漂っています。

今回は、京の玄関口としての歴史から、現代に伝わる文化まで、粟田口の魅力を整理してご紹介します。


京の七口の一つ:東国への大動脈

「粟田口」は、京都の出入り口である**京の七口(きょうのななくち)**の一つに数えられます。 ここは、近江(滋賀県)から東国へと抜ける交通の要衝でした。江戸時代に整備された五街道の筆頭、東海道。その西の起点といえば「三条大橋」ですが、旅人たちが「いよいよ京の街に入るぞ」あるいは「いよいよ旅が始まる」と強く意識したのは、この粟田口付近だったと言われています。

三条白川の東:旅の風情を感じる境界線

地理的には、三条通の白川よりも東側、現在の地下鉄「蹴上」駅から「東山」駅あたりを指します。 このエリアは、山に囲まれた京都盆地の縁にあたり、なだらかな坂道が続く景色が特徴。かつてはここを、重い荷物を背負った飛脚や、夢を抱いて京を目指す公家、武士たちが絶え間なく行き交っていました。

名工たちが集った「刀剣の聖地」

粟田口は単なる交通の拠点ではありませんでした。平安時代から鎌倉時代にかけては、**「粟田口派」**と呼ばれる名高い刀工集団が拠点を構えていたことでも知られています。 三日月宗近などで知られる天下五剣の一つを手掛けた名工たちが、この地の清らかな水を使って名刀を鍛え上げました。現代でも、近くの「粟田神社」は刀剣ファンの聖地として親しまれています。

現代の粟田口:静かな情緒を味わう

今の粟田口周辺は、岡崎の文化エリアや南禅寺にも近く、非常に落ち着いた雰囲気が漂っています。

  • 粟田神社: 旅の安全を祈願する「旅立ちの神」として有名。
  • 白川の流れ: 柳が揺れる美しい水辺。
  • 蹴上インクライン: 近代化の象徴である琵琶湖疏水の遺構。

かつての旅人が、草鞋を履き直して一息ついたであろう景色に思いを馳せながら歩くと、いつもの京都が少し違って見えるはずです。


まとめ:京都の「東の守り」として 華やかな観光スポットに隠れがちですが、粟田口は京都の「動」と「静」が交差する、奥深い場所です。次に東山を訪れる際は、ぜひこの「東の玄関口」の歴史を肌で感じてみてください。

あわせて読みたい記事

おすすめの書籍

今回のブログ記事前後の関連記事

この記事を書いた人
本サイト運営者

ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳を運営しています。
京都市出身、現在は東京都江東区に住まい、妻と一緒に小学生&保育園の二人の子育て中。両親の介護で京都との二拠点生活です。
「野菜作りを楽しむ」をコンセプトにした家庭菜園や農体験の運営を仕事として10年やってきました。今は独立して様々な情報発信などのお仕事と、不動産の管理などをしています。

前述の練習問題の解答☆

問1:粟田口(あわたぐち) (別名:東海道口とも呼ばれます)

問2:近江(おうみ) (近江を越えて東国へと向かうルートでした)

問3:東海道(とうかいどう) (三条大橋が起点ですが、粟田口が境界として意識されていました)

問4:粟田口派(あわたぐちは) (三日月宗近で知られる三条宗近などもこの界隈で活動していました)

問5:粟田神社(あわたじんじゃ) (かつて旅人がここで道中の安全を祈って出発したことに由来します)

Posted by ロスジェネ40代の、あれこれ記録帳