御所の庭に息づく物語「左近の桜・右近の橘」に秘められた歴史と風雅#1129
京都御所の正殿・紫宸殿の前に佇む「左近の桜」と「右近の橘」。当たり前のように目にするこの一対の樹木には、平安時代から続く深い歴史と、不老長寿への願いが込められています。なぜ梅から桜へ変わったのか?なぜお雛様にも飾られるのか?知るだけで御所参拝がもっと楽しくなる、雅な物語を紐解きます。
- 京都御所・紫宸殿の前面(南庭)に配されている「左近の桜」と「右近の橘」は、それぞれ何という役所の衛士が配陣したことに由来して名付けられましたか。
- 平安遷都の当初、現在の「左近の桜」がある場所には、別の植物が植えられていました。それは何ですか。
- 「左近の桜」はヤマザクラの一種ですが、一つの枝に二つの異なる咲き方が混在するのが特徴です。その二つの咲き方の組み合わせを答えてください。
- 常緑樹であることから「不老長寿」の象徴とされる「右近の橘」ですが、古事記において田道間守(たじまもり)が常世の国から持ち帰ったとされる際の呼び名(別名)は何ですか。
- 雛人形の飾り付けにおいて、向かって右に「桜」、向かって左に「橘」を飾る配置は、何からの視点に基づいたものですか。
☆回答は記事の最後にあります。
京都御所の正殿である紫宸殿(ししんでん)。その前庭に、まるで対を守るように植えられている二本の樹木をご存知でしょうか。
東側(向かって左)にあるのが**「左近の桜」、そして西側(向かって右)にあるのが「右近の橘」**です。今回は、京都の風景に欠かせないこの二つの植物にまつわる物語を紐解いてみましょう。
優美に咲き誇る「左近の桜」の由来
紫宸殿を背にして左手(東側)に位置することから、かつてこの側に儀式で整列した「左近衛府(さこんえふ)」にちなんで、その名がつきました。
実は、平安遷都(794年)の当初、ここに植えられていたのは桜ではなく梅だったと言われています。それが平安時代、仁明天皇の時代に枯れてしまい、代わりに桜が植えられたのが「左近の桜」の始まり。以来、京都の春を象徴する存在となりました。
一重と八重が交じり合う、不思議な「御所桜」
左近の桜は、一般的なソメイヨシノとは一味違います。ヤマザクラの一種で、一つの枝に一重と八重の花が混じって咲くという珍しい特徴を持っています。
その気品ある姿は多くの人々を魅了し、京都市右京区の京北にある**常照皇寺(じょうしょうこうじ)**にも、光厳法皇が御所から株分けしたとされる「左近の桜」が今も美しく咲き誇っています。
不老長寿を象徴する「右近の橘」
一方、向かって右側(西側)に鎮座するのが「右近の橘」です。こちらは「右近衛府(うこんえふ)」が配陣したことに由来します。
橘は日本古来の柑橘類であり、冬でも葉が落ちない常緑樹であることから**「永遠の命」や「不老長寿」**の象徴とされてきました。古事記では、垂仁天皇の命を受けた田道間守(たじまもり)が、海の向こうの「常世の国」から持ち帰った「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」こそが橘であると記されています。
ひな祭りの左右、実は「天皇陛下」の視点から
お雛様を飾る際も、向かって左に桜、右に橘を置くのが一般的ですが、これは京都御所の配置に基づいています。
「え、左右が逆じゃない?」と思うかもしれませんが、これは**「天皇陛下(お内裏様)から見て左・右」**を指しているためです。京都の文化は、常に中心にいらっしゃるお方からの視点で形作られているのが面白いところですね。
結びに
華やかに春を告げる桜と、変わらぬ緑を保ち続ける橘。 次に京都御所を訪れる際は、この二つの樹木が歩んできた長い歴史に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。きっと、これまで以上に雅な景色に見えるはずです。
あわせて読みたい記事
おすすめの書籍
今回のブログ記事前後の関連記事
- 左近衛府・右近衛府(さこんえふ・うこんえふ)
- 梅(うめ)
- 一重と八重
- 非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)
- 天皇陛下(お内裏様)からの視点 ※陛下から見て左側が「左近の桜(東)」、右側が「右近の橘(西)」となるため。